SF(すこしふしぎ)
林から帰ると動物が轢かれていた。家の前、道路の脇に散った赤をぼんやり眺める。そう時間が経っていないようだった。
聡は玄関の引き戸をそっと閉める。洗濯かごに制服のシャツを放り、物干しから黒の半袖を外して着る。台所の床に寝そべると背中がひんやりとして心地よかった。
窓の向こうに目をやる。薄紫に暮れる空を眺め、今日はあまり暗くならないかもしれない、と思う。目を閉じた時、引き戸が開く音がした。
「早いね」
「そこにお巡りさんがいた」
「いつも死んだ動物片付けてる人?」
たずねると、兄はシャツを脱ごうとしていた手を止めて聡を見下ろした。
「その人かどうかは知らない、けど死んだ動物片付けてた」
ふうん、と聡は頷く。床のつめたさを背中で味わいながら、日の落ちない空を見るともなく見る。飯なに、と脱衣所から届く兄の声にようやく立ち上がる。
翌朝目覚めると兄はもう家を出ていた。兄は役場で働いているが、暗くならない日は朝早く出勤する。昼なのか夜なのか分からなくなるようなこの集落で、聡は兄とふたりで暮らしている。
ゆうべの残りと味噌汁で朝食を済ませ、聡も学校に向かおうとする。靴を履いて玄関の引き戸を開けると警察官が立っていた。
「動物片付けてくれたんですね」
聡は口を開いた。警察官は聡を見下ろしてぼんやり頷く。行ってきます、と呟き、聡は引き戸を閉めた。
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家に帰り着くと暗くなっていた。玄関に靴が二足あるのを見て、聡は鞄を持ったまま居間に向かう。兄と担任がちゃぶ台を挟んで座っていた。
「進路……」
聡が担任を見ると、担任はふいと目を伏せる。この人は兄と似ている、と聡は思う。
「役場はどうだ」
兄が口を開いた。よその人の前では大人のように振る舞う兄を見つめ、どこでもいい、と聡は呟く。
「まあ、まだ考える時間もあるので」
担任が兄を見て言う。聡はそっと引き返し、玄関から外に出た。
暗くなった時に林の方に行くと帰って来られなくなるので、聡は役場の方へ向かった。ぽつりぽつりと点在する家からわずかに漏れる光を眺める。学校の同級生の名前をあまりよく覚えていない。だからどこが誰の家なのか聡は知らない。
役場の建物を見上げ、兄がここで働いているのを想像した。以前、役場って何をするの、とたずねた時、放送したり相談に乗ったりする、と兄は答えた。
聡は踵を返した。自分に役場の仕事ができるとは思わなかった。担任はもう帰っているだろうか、と思いながら、湿った草や土の匂いを吸い込む。道路の脇で死んでいる鳥を眺め、聡は元来た道を戻った。
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翌朝、学校に向かって歩いていると警察官を見た。朝になって急に冷え、うっすら明るい集落に霧が出ていた。
「林には何があるんですか」
声をかけられ、聡は立ち止まった。左手に持っていた袋を地面に置き、警察官は暗い瞳を聡に向ける。
「別に、何もないです」
聡が返事をすると、そうですか、と目線を外す。スコップと袋を拾い上げ、気を付けて登校して下さい、と無表情に呟いた。
学校に辿り着くとすっかり暑くなっていた。担任の授業を聞きながら窓の外を眺める。蝉の声が聞こえた気がして、夏だ、と思う。花壇の脇のあたりに死んでいる猫を見つけ、聡は黒板に目を戻した。
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家に帰り着くと兄が帰っていた。早いね、と言いながら台所に向かう。テレビを点けている兄は返事をしなかった。
「今朝、お巡りさんに声を掛けられた」
兄は怪訝そうに聡を振り返った。お巡りさん? と言い、テレビの音量を下げる。
「いつも死んだ動物片付けてる人」
まな板と包丁を取り出しながら兄を見つめる。兄は何のことだか分からないという表情をしていた。
「……そういうことを言うのはやめろ」
硬い声で呟き、テレビに目を戻す。聡は小さく息をつき、冷蔵庫から鶏肉を取り出した。
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翌週の放課後、聡は担任に呼び止められた。進路の希望を言わなければならないようだった。担任について職員室に入る。職員室はいつも教師の声が響いている、と思う。
「進路のこと、お兄さんと話した?」
自分の席に座った担任を見る。話さなければいけないとは聞いていなかったが、聡は、いえ、と答えた。
「先生も役場はいいと思う、お兄さんと一緒なら安心だと思うし、まあでも、渡辺さんの希望が一番だけど」
担任は聡の目を覗き込んだ。
「やりたいことはある?」
「……警察官って、どうやったらなれますか」
警察官か、どうだろうね、と担任は目線を外して返事をする。
「進路指導室に冊子があるから、一度見てみるといいよ」
聡は、はい、と返事をした。他の教師から声を掛けられて向こうをむいた担任を眺める。ふと窓の外を見ると、薄紫の空に星が瞬いていた。
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家の前で狸が轢かれていた。時間が経っているようで少し匂いがした。なぜ動物がこんなに死んでいるのか、他の集落でもそうなのか聡は知らない。
玄関の引き戸を開けると兄が立っていた。役場に行く時のシャツではなくスーツを着ているので、聡は思わず兄を見上げる。
「どこ行くの」
「斎場」
行ってらっしゃい、と聡は兄の背を見る。塩を用意しておこう、と思いながら、鞄を置いて台所に向かった。
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翌朝は兄の気配が無かった。ぼんやり目を開け、カーテンの隙間から差し込む光を眺める。すでに温度が上がり始めているようで、聡はのっそりと布団から這い出る。
集落の大人の家に泊まっているのかもしれない、と思い、聡は着替えて玄関の引き戸を開けた。林の方に向かおうとすると、警察官が立っているのを見た。
「袋には何が入っているんですか」
警察官は聡を見、黙って左手に持っていた袋を広げた。動物の目玉や綺麗な石、土の付いた草や鳩の足が見えた。
「ひとつ持って行きますか」
聡は袋に手を突っ込み、綺麗な石を手に取る。動物の血がこびり付いていた。
「集めてるんですか」
「いえ……警察官なので」
警察官の横顔を見上げる。言えないということだ、と思った。この人も大人なのだ、と聡は道路の向こうを見る。日に照らされてアスファルトの匂いが立ち上り、林の緑が浮き上がって見えた。
「行ってきます」
石をポケットに入れ、聡は警察官に頭を下げる。敬礼をしている彼を少し見て、静かに前を向いた。
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林から帰ると兄が帰っていた。黒い背広が洗濯かごに入っているのを見つけ、聡はそっと取り出してハンガーに掛ける。プラスチックの弁当箱がちゃぶ台の上にあるのを見て、何か食べたんだな、と思う。
「卒業したらどうするんだ」
テレビを見つめている兄の背中を見る。働き始めても家事は自分がやるんだろうか、と思いながら、警察官、と呟いた。
「藤原さんの所の爺さんが亡くなって、来てほしいらしい」
「……藤原さんって何してる人なの」
農家、と言い、兄は立ち上がって脱衣所に向かう。風呂沸かしてない、と言おうとして、面倒になってやめた。代わりに、何で動物がこんなに死んでるの、とたずねる。
「知らん、おれが小さい時からそうだよ」
ふうん、と返事をして聡は自室に向かう。カーテンを開けて夜の空気を感じ取る。明日になったら進路指導室に行こう、と思った。
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進路指導室には鍵が掛かっていた。聡は小さく息をつき、廊下に死んでいるヘビをまたいで階段を下りる。わざわざ鍵を借りてまで冊子を見たいわけではなかった。それでもこのままだと藤原さんの所で農家の手伝いをやるはめになるし、それが嫌だったら兄に自分の希望を言わなければならないのだった。
校門を出ると薄暮れになっていた。今日は暗くなる日のようなので家の方に向かう。生け垣の所に担任が立っているのを見、会釈して通り過ぎようとすると声をかけられた。
「渡辺さん、クラスの子がひとり見当たらないんだけど」
担任は聡の目を覗き込んだ。
「何か知ってる?」
誰ですか、と言おうとして、同級生の名前をよく覚えていないことを思い出してやめた。
「知りません、廊下にヘビ死んでましたよ」
ありがとう、後で片付けておくね、と言う担任に頭を下げて小さく手を振る。夕飯は何にしよう、と思いながら、聡は薄暗い空を眺めた。
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道路の脇に警察官が立っているのを見た。聡は思わずポケットに右手をやる。綺麗な石は入ったままだった。立ち止まり、斜めを向いている警察官を見つめる。足元に置かれた袋の中に、何かの歯のようなものが見えた。
「こんにちは」
ぼんやり聡を振り返った警察官を見る。目線は聡を捉えていたが、どこを見ているのか分からなかった。
「今日は林には行かない方がいいですよ」
「わかりました」
返事をして、聡は夜道を歩く。遠くに家の明かりが点いているのを見て、もう帰っているんだな、と思った。
翌朝、味噌汁を啜っている兄に、藤原さんの所に行ってみようかな、と声を掛けた。兄は聡をちらりと見、小さく頷いた。
「今日の帰りに寄って伝えて来る」
うん、と聡は返事をする。蝉の声が聞こえ、今日も暑くなりそうだ、と思う。また何かが死んでいるのか、遠くから生臭いような匂いが漂ってきた。