循環の町

 春の雨は長い、と言ったのは誰だったか。花に囲まれた棺が運ばれる様子をぼんやり眺め、みつるは小さく息をついた。春に死ぬのは幸せだと町の大人は言う。なんだか朝よりも冷えた気がして、みつるは自分の二の腕をさすった。色とりどりの花に埋もれた、昨日まで生きていた老婆を眺める。幸せというのがどういうことなのか、みつるには未だに分からない。

「みつる、お父さんにこれ持って行って」
母親から受け取った薬剤をみつるは眺める。防腐剤、と口に出すと、切り花延命剤ね、と母親は訂正した。
「まだ花使うの」
「次の仕事」
花瓶を箱にしまっている母親を見つめる。黙っていると、みつるもそろそろお父さんの仕事手伝ったら、と呟いた。
「……継ぎたくない」
「継がなくても」
箱を段ボールに詰め、母親は息をつく。
「仕事はお弟子さんがやってくれても、あなたが黙って見ているわけにはいかないでしょう」
お父さんだっていつまでも元気なわけじゃないんだから、と母親は続ける。母親が何を思って自分の夫の死を口にするのかみつるには理解できない。何かが胸を塞ぐのを感じ、庭に目をやった。雨に濡れたロベリアが蕾になっているのが見える。もうそろそろ開く頃だ、と思う。
段ボールを両手に抱え、母親は立ち上がる。みつるの横を通り過ぎて階段を上る足音を聞きながら、花畑に行きたい、と思った。

やわらかな土にスコップを突き立てる。濡れた土の感触は好きだ。音も良い。静かに掘り返していると落ち着く気がする。
みつるの父親は葬儀屋をしている。葬儀屋といっても、仕事はほとんど花を育てることだ。死んだ人は翌日の朝に花で囲んで沈めるのが町の習わしで、だから葬儀屋の仕事は一年中花の世話だった。
みつるの祖父も、曾祖父も葬儀屋をしていたらしい。大人になればみつるも葬儀屋をすることになるだろう。寡黙な父親が何を思っているのかは分からないが、みつるは父親の仕事を継ぐことをほとんど諦めと共に受け容れている。
花の手入れは好きだし慣れている。仕事を手伝うようになったらお弟子さんも快く仕事を教えてくれるだろう。みつるも仕事を覚えて、大人になったら結婚して、それからずっと葬儀屋の仕事をして、いつまでも元気なわけじゃないんだから、なんて言われるんだろうか……。
両手をはたき、スコップを置く。ひとつ呼吸をして花畑に仰向けに寝そべる。湿った土や草の匂い、なんとなく温かいような春の空気。春はあまり好きではない。風が濃く重く、いつまでもこの季節が続くような気がする。
静かに息を吐き、みつるは立ち上がった。明日から学校だ。学校は好きだった。仕事を手伝えと言われることも、命の匂いに息が詰まることもない。大きく伸びをして、みつるは花畑を後にした。

みつるの席は廊下側の後ろから二番目だった。学級は一つなので中学を卒業するまで同じメンバーだ。隣の席がさちだったので、みつるは小さく手を上げる。さちは遠慮がちに肩をすくめた。
「新しい花植えた」
折り紙の裏に書き、畳んでさちに渡す。そっと開き、折り紙の裏に何か書く。
「今日行きたい」
手渡された折り紙を開き、みつるはさちの方を見る。さちは微笑んで頷いた。

みつるが花畑に入れたのはさちだけだ。一体どこまでが葬儀屋の土地なのかみつるには良く分からない。分からないが誰にも何も言われないので、一人でつくった花畑を今もそのままにしている。
「きれい」
しゃがみ込んださちが呟く。頬に睫毛の影が落ちている。本当にきれいだと思っているようには聞こえなかったが、でもどちらでも良いことだ。
「私もお店のことやるようになったら肉を作るんだって」
「うん」
「大変そうなんだ、お父さんの見てると」
「うん」
みつるは地面を眺める。今日は晴れて温かい。少し水をやっておいた方がいいかもしれない。
「……俺も、葬儀屋やりたくない」
ふふ、と息をもらすようにしてさちは笑った。仕方なさそうな、諦めたような笑顔。胸に淀んだ何かが波立った気がした。
不意にさちが立ち上がり、大きく伸びをする。送る、とみつるは呟いた。

さちを途中まで送り、家に帰り着くと母親が夕食を作っていた。どこに行ってたの、とたずねるので、さちと話してた、と返事をする。
「お父さん、お弟子さん達とご飯だから」
うん、と返事をして自室に向かう。鍵をかけ、鞄を置いて窓を開ける。生ぬるい空気が頬を撫でる。庭に目をやると、青のロベリアがわずかに開いていた。
さちの姉はロベリアをきれいだと言った。本当にきれいだと思っているとわかった。さちをよろしくね、とも。だからみつるはその時、ロベリアをたくさん使って欲しいと父親にお願いした。
ロベリアに埋もれたさちの姉はきれいだった。白い頬を眺めながら、ひどい仕事だ、と思った。
みつるは小さく息をつく。風が重くなった気がして、そっと窓を閉めた。

次の休みに花畑に行くとさちが居た。肉屋の厚手のエプロンを付けていたので、みつるは小さく笑う。
「様になってる」
「ありがと」
さちは困ったようにはにかんだ。ゆっくりしゃがみ込み、そのまま仰向けになる。やわらかな土を踏みしめ、みつるはさちの隣にしゃがみ込む。
「私も春に死にたい」
それでたくさんの花に囲まれたい、と小さく続ける。じゃあさちが死ぬまで生きなきゃな、とみつるは思う。母親に手渡された防腐剤を思い出す。一体俺はいつまで生きたらいいんだろう。
俺は冬に死にたい、とささやいた声が震えた。ちょうど花が途切れた頃。冬でなければ今。風が吹き、むせ返るような春の匂いが漂う。息をもらすようにして笑ったさちも、諦めたような顔をしているとわかる。みつるはゆっくり目を閉ざした。

 


 

持て余している話 2022年