武蔵野エレジー的りおさま

 雨の匂い。遠のくサイレンと灰色の砂ぼこり。隣を走っている左馬刻をちらりと窺い、彼を突き飛ばして右の道に転がり込む。押し倒した拍子に口の中を噛み、生温い鉄の味が滲んだ。
「あー……ってぇ、腕擦りむいたわ」
 胸のあたりで響く彼の声に、左馬刻こそピアスを減らしてくれ、と返事をする。息を整えながらもうサイレンが聞こえないことを確かめる。何かから逃れて薄暗い場所にいるというのは、なんだか懐かしい気がした。
 半身を起こして壁に背を凭せる。立ち上がった左馬刻が服の裾を絞る。滴り落ちる水滴を眺めていると、さみい、と乾いた声で呟いた。
 理鶯が黙っていると、隣に膝を立てて座り込む。飯食ってくか、と続ける彼の、半分伏せられた睫毛を眺める。泥や煙や血の匂いも、雨で流れて今日はわからない。
「やりたい」
「……いい根性してるよなお前」
 一瞬の間のあと、呆れたように息をついて立ち上がる。理鶯が見つめると、挑発するようにふっと口元を歪めた。
「今日の理鶯は頑張ったからな」
 ご褒美やるよ、とかすかに笑い、壁に手を突く。泥の付いた服の裾から、白い背と緑の彫り物が覗いていた。
 何かから逃れて薄暗い場所にいる。血も過去も、雨に溶けて流れていく。明日が来ると信じて眠ったことなんて無いのに、いま今日の続きに明日が来ることを望んでいる。雨の降る音が強くなった気がして、理鶯はまた気付かなかったふりをする。それでも彼の、しっとりとした皮膚に触れると、今これだけが欲しい、と思う。

 


 

野獣に生まれつきたかった話