花屋(書き途中)

1

飽きたなあ、と思った。空いた缶のラベルを見つめ、笑い声に耳を傾ける。千秋はもともと友達を大切にする方ではないが、大学時代の友達と集まって飲むのは楽しい。けれどいったふりを続ける彼女をどうするとかいう話題が、そんなに楽しいとは思えない。ごろんと寝転ぶと、胃の中におさまった酒がうごめいた。
人生にぽっかり飽きてしまった。二十三の春だった。

花屋でバイトを始めて二年になる。大学を出たら企業に就職をするものだと思っていたからここも辞めるつもりだったが、なんだか面倒だなあと思っているうちに卒業してしまった。企業を探すのもバイトを辞めるのも面倒で、特にやりたいこともなく、それでもこのままだと時間もお金も不自由なので居酒屋とのダブルワークを始めた。年上の男はとりあえず褒めろ、というのが居酒屋のバイトで学んだことで、だからこのあいだ来た五十がらみのその男も褒めた。背が高くて、半分くらい白くなった髪を短く刈っていて、花屋の緑のエプロンに赤いセーターがおかしな具合に浮いて見えた。
「白石さん、赤似合いますね」
茎を切っていた男は手を止める。ふっと目を上げると、じっと千秋を見つめた。
「きみは黒が似合うな」
それ以上何も言わず手元に目線を戻す。踏み込まれたくないと思っているのがわかったので、千秋はそのままにした。
「……とびか何かでした?」
「とび?」
男が不審げに顔を上げる。とび職です、やってそうだったんで、と千秋は続ける。
「いや……、仕事をしたことは無い」
え、と呟くと、目を伏せたまま微笑む。働くというのはいいものだな、と続ける男の目元を見つめていると、社員のおばちゃんがレジから顔を出す。
「白石さんはね、今時信じられない、本当のお坊ちゃんなの」
「人身御供だったんだ」
穏やかに続ける彼の声が、夕暮れの空気に溶けるようだった。はあ、と返事をしながら、俺は何でこんなことをしてるんだろう、と思った。

2

家に帰ると姉がいた。ダイニングのテーブルに用意されている夕食を口に運びながら携帯をさわっている。ちらりと千秋を見て、おかえり、と呟く。
「姉ちゃん、俺の分は?」
「冷蔵庫に入れた」
ありがと、と言い冷蔵庫を開ける。卵とトマトを炒めたような、よくわからない料理だった。皿を取り出し、ラップを外して電子レンジを開ける。
「最近こればっかだよな」
んー、と生返事をしながら目線が携帯から動かない姉を横目で見る。炊飯器の蓋を開け、どんぶりにご飯をよそってダイニングに座った。姉が顔を上げ、千秋の箸を手渡す。
「こんな時間によくそんな食べれるね」
兄が家を出てからときどき親のようなことを言うようになった姉に、千秋は閉口する。

3

「森君、白石さんお休みだから残業お願いできる?」
はい、と返事をして千秋は振り返る。白石さんは来たばかりだがよく休む。社員のおばちゃんが何か言いたげに千秋の顔を見ていた。
「……何すか」
「奥さんの一周忌ですって」
へえ、と返事をしてレジに向かう。放っときゃいいのにな、と千秋は思う。
「二回り上だったんですって」
レジの鍵を開けながら千秋に話しかける。ちょっと不機嫌だなと思いながら、かがみ込んだ茶色いつむじを見つめる。
「……珍しいですね、年が離れた奥さんって」
千秋が仕方なく返事をすると、そうよ、と不思議そうな声を出す。
「一周忌なんて準備があるんだから、前もって言ってくれればいいのにねえ」
本当にお坊ちゃま育ちだわ、と呟きながら入口の方に向かう。薄黄色のセーターを眺め、この人の黄色はよく馴染んでいるな、と思った。