ぼくのわたしの考えた茶金

レオの話をしよう。
父さんがレオという傭兵まがいの人間を雇った。父さんは今までも何度かそういう素性の知れない腕っ節だけが取り柄のような人間をどこからか連れてくることがあったけど、レオは今までの傭兵とはすこし違った。レオはなじんでしまわない。たとえば母さんのやさしい手料理や、兄さん達の笑い声に。レオは兄さん達や俺に剣を教えてくれた。俺は兄さん達のように出来がよくはなくて、レオに怒られてばかりだった。穏やかで、文武両道に何でもこなす上の兄さん、気性が激しく天才肌の下の兄さん。俺には何もなかった。俺は出涸らしのつまらない子供だった。

その日は寝苦しい夜だった。夜中に喉が渇いて台所に行こうとすると、下の兄さんの部屋の明かりがまだついているのに気付いた。あんなに寝つきのいい下の兄さんが? 俺は、兄さん、と声を掛け部屋の扉を開けようとして立ちすくんだ。俺ははじめ、レオが泣いているのだと思った。癇癪持ちの下の兄さんに付き合わされて、とうとう泣いてしまったのだと。それでもレオは泣いたりするわけないと俺は思い直し、(その考えは妙な確信を持って俺の前に現れた、そしてそれは正しかったのだが)恐怖しながら扉をほんの少しだけ開け、俺は、それを見た。

どうした、今日は調子が悪いな、とレオは剣を置いて言った。俺は息をととのえるふりをしながらレオの横顔を窺い見た。「……別に」と呟き、剣を構える。レオは肩を竦めながらも剣を構えた。あれ以来、俺はレオの顔をまともに見ることができない。
下の兄さんとレオは、やっていた。
兄さんに組み敷かれてじっと目を閉じていたレオ、そののけぞらせた首筋の白さといったら! 俺は普段剣のできない俺を叱るレオを思い浮かべ、思わず二、三歩後ずさって扉を閉めた。めまいがした。けれどそんな気持ちとは裏腹に、俺の体の一部分は明らかに熱を持っていた。俺はその後、トイレでひとりで抜いたのだ。
レオをオカズにしてしまうなんて。俺は悲しいやら申し訳ないやらで、もうどうしようもなかった。ただ闇雲に剣を振り、レオに注意される。
「休憩しよう」レオはどこを見ているのか、横を向いて呟いた。

草の上に腰かけると、俺は一体何を話していいのかわからなかった。何か喋ろうとすると、あの時のレオの姿がちらつくのだ。大丈夫か?と俺を見ながらレオは言う。大丈夫、と手ぬぐいで汗を拭きながら答える。ならいいが、とレオは言った。
「おまえが俺のことを苦手でもなんでも構わないが、剣は教えさせてもらうぞ」
俺は驚いてレオを見た。そういう風に、おまえの父さんに言付かっているのでな、とレオは続ける。俺はその時、見たこともない黒々とした感情が自分の中に溢れてくるのを感じた。言っちゃダメだ、と思うのに、止めることができない。
「兄さんとやってたのも、言付かっていたことなのかよ?」
今度はレオが驚いて俺を見る番だった。俺はまっすぐに、挑むようにレオを見つめ返したが、レオはふっと視線を外した。
「おまえもやりたいのか?」
俺は全身を毒のように怒りが駆け巡るのを感じた。今すぐレオに飛びかかって、めちゃくちゃに殴ってやりたいと思った。けれど俺の口からは弱々しい呟きが漏れただけだった。
「……あんたは兄さんのことが好きだからやったわけじゃないんだな」
レオは否定も肯定もしなかった。俺をぼんやりと見つめる。その瞳の底は見えなかった。自分でも信じられないことに、俺は安堵していた。

下の兄さんの叫び声と、レオの怒号。二人の訓練はいつもあんな風にやかましい。俺が窓の外を眺めていると、上の兄さんが紅茶を飲みながらくすりと笑った。なんだよ、と俺が抗議の目線を送ると、兄さんはなおも微笑んだ。
「レオとあいつが訓練してるのが気になると見た」
俺は呆れ顔をつくってみせた。何のことを言ってるのかわからない、という風に。実際、俺には理解ができなかった。好きでもない相手とやったりするレオが、そして兄さんのことをレオが好きではないと知って安堵してしまった自分が。俺は一体どうしたらいいのかわからなかった。父さんに言って、今すぐレオを辞めさせることもできるだろう。けれど俺は知りたかった。傭兵という蓑を身にまとい、自分の心をひた隠しにしているレオの中身の部分を白日のもとに暴きたかった。
「悩むねえ、若造」
そう言って俺の肩に手を置き、上の兄さんは笑うのだった。

それからしばらく経った夜中、俺はまた目が覚めた。この前のことを思い出し、無理やりに布団を被って眠ろうとするが目は冴えるばかりだった。しょうがないので何か飲もうと台所に行こうとする。今度は兄さんの部屋に明かりがついてても決して覗くまい、と思いながら。
兄さんの部屋の明かりは消えていた。俺は内心ほっとしながら、台所に行って水を飲んだ。その帰りに、ふとした疑念が頭に浮かんだ。俺はそのことを恐ろしい考えだと思ったが、確認しないわけにはいかなかった。俺はレオの部屋の前に立ち、扉をほんの少しだけ開けた。明かりがついていた。明かりがついていたのだ。
レオはひとりで机に向かっていた。こちらの方を向かないまま、「おまえは覗きが趣味なのか」と言うので俺は仕方なく扉を開けて中に入る。
「……目が覚めたら、明かりがついてたから」
自分でもばかのように思えることを呟いた。レオは俺の方を向いて言った。
「おまえの兄さんと俺がやってないか気になったのか」
俺は下を向く。図星だった。けれどそれを悟られることは避けたかった。俺は、と言った声はかすれていた。あんたの中身が知りたいんだよ、と小さい声で続けると、レオは驚いたように眉をもちあげた。
「俺の中身」
笑みを含んだ声で俺の言葉を繰り返す。俺はむっとして、だってあんたのことがわからないんだよ、とさっきよりもやや大きな声で言った。
「ふらっと来た胡散臭い傭兵で、好きでもない奴、しかも男とやったりして、自分のこととか全然話さないし、なんだかわからないんだよ」
レオはしばらく俺を見ていたが、やがて目を伏せて、そんな風に言ったのはおまえが初めてだ、と言った。伏せた睫毛には俺の知らない日々が流れているようで、俺は心底ぞっとした。

けれど幕切れはあっけなく訪れた。妹が重篤で帰らなければならない、とレオはその日俺たち家族の前で言った。
レオの妹。
それは不思議な言葉、未知の生き物のように思えた。妹が重篤で帰らなければならない。そんな話は一度も聞いたことがなかった。レオが、どれだけ自分のことを明かさなかったのかをようやく理解し、俺は深い後悔に満たされた。レオは他にも自分のことをかいつまんで説明した。割と裕福な家庭の長男で、色々あって(とレオが言った)今まで勘当されていたのだが、その重篤の妹が「お兄ちゃんに会いたい」と床に伏せたままうわ言のように繰り返すので、レオの家族はようやくレオの居場所を捜し出し、帰ってこいと言ったこと。
「寂しくなるわね」と母さんが言った。私の作ったごはんに感想言ってくれるの、レオちゃんだけだったのに、と。「今までお世話になりました」と上の兄さんが言った。下の兄さんはずっとそっぽを向いていた。父さんは、残念だな、子供たちもよく懐いていたのに、と言った。俺は笑顔で見送ろうとしたがうまくいかなかった。レオはなじんでしまわない。どこにもなじんでしまわない。そうして信じられないようなある考えにたどり着いた。レオはどこかになじむのを心から恐れているのだ。妹のことなんて真っ赤な嘘で、レオはほんとうのひとりぼっちなのだ。
「うそつき」
俺の口から呟きがこぼれた。上の兄さんと父さんが俺の方を向く。いつの間にか涙も流れていた。レオは俺の前に立って、俺の頭に手を置いた。レオのあんなに優しい顔を見るのは初めてだった。
「さようならだ」
妹なんてほんとはいないんだろう、本当のひとりぼっちなんだろう。ずっとここにいればいい。なじんでしまうことなんて、なんてことでもないんだから。けれど俺はそれを言うことができなかった。レオがひとりを望んでいるのに、つなぎ止めることなどできないと知っていた。それで代わりに大声で泣いた。下の兄さんが舌打ちをし、上の兄さんと父さんが「やれやれ」という顔をした。母さんは、仕方ないことなのよブーン、と言った。レオはしばらく俺の頭に手を置いていた。すまない、と、その体温が言っていた。

これが俺がレオについて知っていることの全てである。
今ならわかることもたくさんある。たとえば下の兄さんの一時の気の迷いだとか、レオはもちろん職業的に、というか、仕事としてそれをしたことだとか――。
俺は時々思い出すのだ。レオは今でもひとりぼっちだろうか。またどこかに雇われて、今でもまだなじむことを恐れているのだろうか。

 


 

2011年頃のなんだけどまあよく飽きずにこういうの書くなって思う