息子×義父

父親とふたり暮らしをしている、と言うと、考えられないとか息が詰まるとか、そういう反応ばかりが返ってくる。だからいつの間にか友達や先輩に言うのをやめてしまったのだが、俺と父さんのふたり暮らしは快適だ。父さんは干渉をしない。俺に何か、例えば思想や信条を押しつけることもない。率直に言って、俺たちは仲がいい。
「ただいま、慎二」
おかえり、と言いながら玄関へ走り、父さんの買ってきたスーパーの袋を受け取る。牛乳、卵、玉ねぎと人参、豚肉。カレーライスだ、と声を上げると、残念肉じゃがだよと父さんは笑う。
「今日は八百屋さんがおまけしてくれたんだ」
俺は八百屋の親父を思い出す。禿げ上がった頭にいつもにこにこと笑みをたたえている小男だった。急に心配になり、父さんの二の腕のあたりをぽんぽんと触った。
「……変なことされてない?」
「なんだ、変なことって」
「父さん抜けてるし、かわいいから心配なんだよなあ」
父さんは笑い、まったくおまえは俺をなんだと思ってるんだよ、と俺の頭を撫でた。
「これでもおまえの父親なんだぞ」
父親、そう、俺は父親とふたり暮らしをしている。父親なのだからどうしようもないと、俺は諦めに満ちた頭でぼんやりと思う。

俺には父親がふたりいる。今の父さんと、本当の父さんだ。
仏壇に線香をあげながら、俺は飾られている写真を眺めた。赤ん坊の俺を抱いている本当の父さんと、今の父さんが仲睦まじく写っている写真。俺の本当の父さんは俺が物心つくかつかないかの頃に自動車事故で死んだ。俺を保育園に迎えに行く途中だったらしい。俺に母さんはいなかった。みなしごになってしまいそうだった俺を引き取ってくれたのが今の父さんで、俺をここまで育ててくれたのも今の父さんだった。
「慎二、ごはんだよ」
エプロンを腰に巻いた父さんが台所から顔を出す。はい、と返事をして俺は立ち上がる。居間の自分の席に座ると、父さんが台所から肉じゃがを運んでくる。いただきます、と言い、俺は箸に手を伸ばした。
「明日、学校の奴らと飲み会、夕飯いらないからね」
休日ちゃんと夕飯をつくってくれる父さんに悪いと思いつつも俺は言った。明日は日曜日だが、昼間から先輩の家に集まって飲む予定だった。父さんは俺を、期待に満ちた目で見つめて言う。
「女の子なんかは来ないのか」
俺は大きくむせ込んだ。来ないよ、と笑うと、父さんも笑った。
「おまえがいつまでも彼女をつくらないの、最近はもしかしてできないんじゃないかと心配になってるんだ」
こんなに優しくて、頼れるいい子なのに、と父さんは続ける。俺は胸がちくりと痛むのを感じた。父さんの笑顔にまるで邪気がなかったからだ。邪気も他意もなく、本当に俺を優しくて頼れるいい子だと思っている表情。
「ん、彼女……できるといいんだけど、今は服の勉強がんばりたいし」
俺は心にもないことを口にした。彼女はいらないし服の勉強はつまらない。父さんが、そうか、と笑う。俺は泣き出しそうになる気持ちをじゃがいもと一緒に飲み込んだ。

暗がりの中、自室のベッドで父さんのことを思う。本当の父さんから幼い俺を引き取った父さんのことを。親友が死んで、その息子を育て、学校にもちゃんと通わせてくれた。その頃の父さんはもう働いていたが、今の俺と同じくらいの年齢だったのだ。父さんの不安はいかほどだったろう。自分の両親との折り合いはよくなくて、ひとりで暮らしていて、朝から晩まで働いていた上に子供を引き取っただなんて。
父さんは優しかった。朝食や弁当を作ってくれて、休日にはいやな顔をせず俺を外に連れ出してくれた。いつでも笑って、穏やかだった。俺はそっと下着の中に手を入れる。硬く勃起していた……。こんなことはおかしいと、ちゃんと解っているはずなのに、ベッドの中で父さんを思って自分を慰める夜を何度迎えたかわからない。一度だけ、父さん、好きだよ、と言ったことがある。あれは中学生の頃だ。父さんはその時俺の頭をぽんと撫で、父さんも慎二が大好きだよ、と微笑んだ。
俺はうっと声を上げて射精した。あんな思いはもうしたくなかった。掛布を頭まで被って、俺は明日のために眠ろうとした。

学校の連中と騒ぐのは楽しかった。俺は飲み会の帰り、千鳥足になりながら先輩の家を後にした。一緒の方向に帰る同級生が俺の肩を抱き、おい、慎二くんに相談、と呟いた。
「慎二くんとの仲を取り持ってくれっていう女の子がいんだけど」
俺は、ん、と曖昧に笑った。そういうのは別に、ともごもご言うと、同級生が俺の背をばんと叩く。
「つれないな、慎二くんを男と見込んでの相談だぜ」
俺にもいい顔させてよ、な、と言った同級生の顔を俺は眺める。その女の子に何か借りがあるのか、あるいはこの同級生がその女の子を好きなのだと思った。俺は急に酔いが醒め、心が冷えていくのを感じた。世界は男と女で回っている。だったら俺はどうすればいいんだろう。
「悪いけど、俺は父さんが好きなんだ、一緒に暮らしてる義理の父親が好きなんだ」
一息に言い、俺は同級生の顔を見ずに駅まで走った。夜の電車に駆け込み、閉まったドアを背にしてへたり込んだ。明日になれば同級生は忘れているか、酔っ払いの笑えない冗談だったと考えるだろう。俺はゆっくり目を閉じ、揺れる電車に身体を預けた。

家に帰り着いたのは十時過ぎだった。居間の電気がついていたので、ただいま、と言うと、父さんが居間でうたた寝をしていた。父さんの寝顔はすこやかで、俺の身体にどうしようもない衝動が沸き上がる。俺は掛布を持ってきて、父さんの肩にそっと掛ける。その足で仏間に行き、仏壇に線香をあげた。
父さん、俺は父さんを好きなんだ……。
のろのろと居間に戻り、眠っている父さんを眺める。震える手を伸ばし、父さんに触れようとした。自分の目の縁に涙がふくらむのがわかった。おかしいことだと、わかっていた。

 


 

リクエストを募集した時に書きました(ありがとうございました) 2017年