喉の奥なら傷ついてもばれない

嚥下する時の痛みにも慣れた。何かを食べる度に取り返しがつかないことをしたような気になったのも最初のうちだけだ。理鶯は今や、三度の食事の時に思い出すようになった。彼の指が無造作に口の中に入る感覚、見上げた彼の表情のない瞳、喉のやわらかい肉を抉る音。

上を向いて思いきり口を開ける。人間の顎がこんなに大きく開くことを、理鶯は久しぶりに思い出す。ん、とわずかに満足げな彼の声を聞き、理鶯はうっすら満たされて静かに口を閉じる。閉め切ったカーテンの向こうはきっと眩しいくらいだろう。いま立ち上がって彼を組み敷き、白い首筋に噛みつきたい衝動を、理鶯はぎりぎりのところで押しとどめる。
「……いい顔するようになったじゃねえか、理鶯」
面白がるような彼の声色に、正体のわからない感情が揺らめく。彼の武器と、盾と、気まぐれな欲望の処理を兼ねていることが、理鶯は今や誇らしい。ここを出るのはカーテンの向こうが薄暗くなる頃だろう。その時間、彼を独り占めするということに、こみ上げる自由とぞっとするような甘美を味わう。
証が欲しいのだと思っていた。けれど今は、痕が無いと不安なのだと思う。満たされた潮が、ゆっくり静かに引くのを感じた。

うつ伏せに寝そべり、理鶯はあぐらをかいている彼を見上げる。ベッドで煙草を吸わないでくれと、いつか理鶯が口にできる日が来るのだろうか。
「それは一体どんな味がするんだ」
声をかけると、彼がゆっくり理鶯を見下ろす。片頬をゆがめるようにして笑い、吸ってみるか? と呟いた。
「喉の傷に染みて痛えだろうよ」
彼の瞳はおもしろがるように光っていた。理鶯が求められている返答はひとつだけだったが、わからなかったふりをした。
傷は塞がる。そうしたら彼は再び傷を付けるだろう。その度に理鶯は、この肉体は彼のものだと思い知るだろう。肉体のほかに消えない証がどうして存在しないのかと、理鶯はどうにもならないことを考える。
彼が銀の灰皿に煙草を押し付ける。短い中指の爪を眺める。あれが伸びる頃には、理鶯の喉の傷も塞がっているだろう。理鶯は静かに目を伏せ、ゆっくり唾を嚥下した。彼の不安と恐怖のすべてを、理鶯が根絶やしにできたらどんなにいいだろう、と思う。

 


 

傷痕以外に理鶯の心を繋ぎ止める方法を知らない左馬刻の話