添い寝

先に寝ろ、と左馬刻が言うので、いつも先に眠っていた。肉体はしなやかなのに、どこか妙に強情なところがあって、理鶯がそれに気付くと知らん顔をした。理鶯が気にしたことに、彼も気付いたのだと理鶯は思うが、そうであったからと言って彼が大切な存在だということに変わりはなかった。

翌朝理鶯が目覚めると、左馬刻は窓を開けて煙草をふかしていた。危険だからベッドやソファで吸わないでくれと言ったのは理鶯だったが、今はベッドで吸ってくれたらいいと思う。理鶯の望みをまともに聞き入れたことなんてほとんど無いのに、こういうことばかり律儀に守る彼の背は、理鶯の知らないたくさんの不幸を背負っているように見えた。
「……最近暑くね」
窓のむこうを向いたまま彼が呟く。理鶯は思わず部屋を眺める。窓から差し込む光のせいか、なんだか薄暗い気がした。
「五月だな」
左馬刻は黙って煙を吐き出す。ゆうべはちゃんと眠ったのか、と尋ねることはできなかった。
「この季節のキャンプ地は独特な匂いがする」
「……だから何だよ」
彼がのろのろと理鶯の方に顔を向ける。面倒臭そうな、キャンプ地の匂いになど興味はないとはっきり解る表情。理鶯は時々、左馬刻がどこを見ているのかわからない。
「左馬刻に小官の思っていることを知ってほしい」
彼は窓の外に目を戻し、深く息を吐く。考えとくわ、と気怠そうに呟いた。

その一週間後は彼が部屋に居なかったので事務所を訪ねた。すれ違った男に挨拶をすると、彼は人懐っこい笑みを浮かべる。毒島さん、兄貴ならいつもの部屋だと思いますよ、と小声で囁いた。
扉をノックしようとして、理鶯は耳を澄ませた。部屋の中から彼の気配を感じ取れなかった。そっと耳をくっつける。かすかに寝息が聞こえた。
理鶯は静かに扉を開け、音を立てずにソファに歩み寄る。左馬刻が身体を丸めてうたた寝をしていた。彼の寝顔を見るのは初めてだった。無防備な表情は普段よりも少し幼い。今まで彼がソファでうとうとしていた時は、理鶯がどんなに静かに扉を開けても目を覚ました。眠っていたのか、とたずねると、別に、と横を向いた。理鶯は胸がいっぱいになる。安らかな彼の睡眠を邪魔したくなかった。
日が翳る。閉め切ったカーテンの向こうはそろそろ夕方だろう。左馬刻の仕事場にも、こんな風に安心できる場所があることを嬉しく思った。このまま眠っていては冷えるだろうと思い、理鶯は物置のような部屋を見渡す。床からくしゃくしゃに丸まった布を拾い上げ、そっと両手で広げる。群青色のタオルケットのようだった。
起こさないように細心の注意を払いながら、丸まった左馬刻の身体にかぶせる。う、と小さく声を上げ、彼はさらに小さく背を丸めた。布から出ている足先が震えているので、彼が悪い夢を見ているのだと解った。
理鶯は思わず左馬刻を抱き締める。どんな種類の苦痛も恐怖も、彼の上を素通りしてほしかった。彼が目を覚まし、闇雲に四肢をばたつかせる。足を組み入れて固定すると、動きを止めてからしばらくして彼は呟いた。
「……いつから来てたんだよ」
「つい先程だ」
息をつき、理鶯は小さく声を出す。もう彼がこの部屋でうたた寝をすることは無いだろうと思った。
「……帰れ、これから仕事」
「怖い、と泣いていた」
みぞおちに強い衝撃を受け、理鶯はしゃがみ込む。ソファから立ち上がり、部屋の扉を開ける彼の背中を見つめる。理鶯を振り返ることなく部屋を出る彼の後ろ姿はひとりぼっちの子供だった。すっかり泣き疲れて、全部を放り出したがっていた。

理鶯はしばらく静かに過ごした。自分が左馬刻を追い詰めているのだと理解した。理鶯は左馬刻が大切だったが、たとえ彼が理鶯を求めなくても、彼が生きていれば理鶯はそれでよかった。
彼がキャンプ地に来た時、理鶯はうとうとしていた。テントをそっと開ける彼の気配を感じたが、理鶯は振り返らなかった。左馬刻だ、とぼんやり思う。彼が来るのは明るいうちだから、今は夜ではない。自分が昼間にうたた寝をすることがあるなんて、理鶯は思わなかった。
「……この草みてえな匂いか? 理鶯」
「そうだ、植物の根が腐る匂いだ」
「お前意外と暗いよな」
貴殿には言われたくない、と呟きながら、理鶯はもぞもぞと身体を動かして左馬刻を見る。あちこちに擦り傷を作っていたので、壊れた罠を作り直すのをあとで手伝ってもらおうと思った。
左馬刻が横たわっている理鶯の隣に身体をおさめる。理鶯は頬を緩めて彼を抱き締めた。今日は仕事はないのかと、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

射し込む朝の光に目蓋を開ける。胸のあたりに左馬刻がおさまって眠っていた。そっと身を起こすと背中に痛みが走る。二の腕にも引っ掻き傷があり、理鶯は軍服を脱ぐ。背中側を確認すると、新しい痣や擦り傷が点在していた。
横たわっていた彼がのろのろと目を覚ます。理鶯の上半身を見て、面倒くさそうに顔をしかめる。
「何だその怪我、また夜中に変な訓練してたのか?」
呆れたように声を出す左馬刻を見つめ、理鶯はなんだか泣きたい気持ちになる。あぐらをかいている彼を抱き締め、頭をわしわしと撫でる。んだよ、と笑う彼のくぐもった声を聞きながら、彼がうたた寝をできる場所を作りたいと思う。朝も夜も、理鶯がいてもいなくても、悪い夢を見ることのない場所を。

 


 

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