独立領の亡霊

怖いものなどないと思っていた。ひどいことや恐ろしいことだって自らの力で切り抜けてきた。経験とそれに伴う自負がブラッドを支えていて、守るべき人々の存在がブラッドを動かす原動力だった。力を持つ者は力を持たない者を守らなければならない。けれどあれからその考えを抱く時、ブラッドはいつも自分の胸の奥に打ち込まれた杭を眺める気持ちになった。守るべき存在だったはずの人々を手にかけてしまった時に打ち込まれた、二度と抜けない杭だった。ああするしかなかったと思うのとほとんど同じ分量で、自分の信念を自分で覆してしまった絶望を何度でも味わった。
ひとりでも多く生き残らせる。また笑い合える日々を取り戻す。その思いに今でも揺るぎはないが、そこにブラッド自身もいる想像は、いつしかしなくなっていた。

隊長、どこを見てるの、と声が聞こえ、ブラッドは現実に引き戻された。その時ブラッドはジャスティンからの報告を書き留めているところだった。机の前に立っているジャスティンをふっと見上げると、切なさと慈しみのないまぜになった表情をしていた。
あこがれているとジャスティンに言われたのはついこの間だ。ジャスティンが砦に来たのもついこの間のことのように思えた。こんなに短い間によくそんな感情を抱くものだとブラッドは思ったが、若いから彼の時間は濃く流れているのだろうと思った。あるいは砦に来たのがこの間というのがブラッドの思い込みなのかもしれない。傷付けないようにそっと断ると、隊長に釣り合う男になってみせると神妙な顔つきでささやいた。
ブラッドはその時眩しいと思った。まだ恥も罪も知らない魂。付いた傷に怯むこともなく果敢に努力をする姿。まっすぐに慕われる面映ゆさ――。ブラッドは思わず自分の胸のあたりを眺めた。抜けない杭を、彼に見られたくないと思った。

かつて愛した人が死んだ時、ブラッドは二十だった。彼女のお腹の中にはブラッドの子がいた。ブラッドは青年だったが、その決定的な日にひっそりと老いた気がした。周りの人間はブラッドを気の毒そうに眺めた。あんなに若いのに、かわいそうに……。ブラッドはそれまで以上に守るべき人々を守ることに情熱を傾けるようになった。それはほとんど呪いのように、彼の信念となっていった。けれど同時に、いつ死んでしまっても構わない、という思いが小さく生まれ、それは今や影のように大きく育ってブラッドの生きる道に存在しているのだった。

そんなこと許されないだろ、と彼は震える声を出した。砦の中で、生き残るために住民を殺したと告げた時だった。怒りの灯った瞳の青は普段よりも冴えて見えた。許されないと、ブラッドだって思っていた。
「あの場にいなかったお前にはわかんないだろ!」
「ああ、解らねえし、解りたくもねえ!」
怯むことのない命。ブラッドは目の眩むような錯覚に陥る。正論だから役に立つとは限らない、とやっとの思いで言い目を上げる。ジャスティンと目が合った。
彼の目は悲しげだった。どうしてそんなことをするんだ、どうしてそんなことを言うんだとその瞳が言っていた。ブラッドはその時、彼の目の前で、胸に突き刺さった杭をいたずらに刺し直された気がした。そうして奇妙なことに、この時ほどジャスティンの思いに応えてやりたくなったことはなかった。この時に一番、自分と彼は近い位置にいると感じた。

怖いものなどないと思っていた。ひどいことや恐ろしいことだって自らの力で切り抜けてきた。守るべき人々の存在がブラッドを動かす原動力だった。けれどその人々を手にかけてしまった消えない罪が彼の知るところとなった今、ブラッドは、恐ろしい、ひどいことを自分ひとりの力で切り抜けることはもはやできないと感じている。信じ難くあさましいことに、ジャスティンに失望されたくないと思っている。怖いものがなかったのはいつ死んでしまっても構わないと思っていたからなのだった。けれど、けれど今は……。
隊長に釣り合う男になってみせるとささやくジャスティンを思い出し、ブラッドは眉根を寄せて目を伏せた。次いでジャスティンの笑顔を思い出す。目が眩みそうになり、もうこれ以上このことを考えるのはやめよう、と思う。死がとても怖かった。

 


 

隊長の過去を捏造してるよ