誰がこの街の王様

左馬刻が風邪を引いていた。珍しく泊まるという予定を立てた日だった。理鶯を部屋に招き入れる彼の後ろ姿は明らかに無理をしていたが、理鶯は静かに彼の後ろをついてリビングに入る。もともとの性分なのだと思う。こういう時の左馬刻に休んでくれと言っても頑なになるだけだと、理鶯は今までの付き合いの中で理解していた。彼は他人に助けを求めることを恥だと思っている節があった。

それでもやはり日が暮れてくると、ソファに並んで腰かけている理鶯の肩に顔を埋めた。くっつけられた額の温度が普段より高い気がする。理鶯がたずねたのは昼前なので、体力を消耗したのだろう、と思う。窓の向こうの、ゆるやかに染まる薄紫を眺めながら、理鶯は黙っていた。
「……りおー」
「うん?」
返事をすると、左馬刻は理鶯の膝に頭を乗せた。肩のあたりにそっと手を置く。普段より少し呼吸が浅く、やはり体温が高い気がした。
今日は眠ってくれ、という言葉をやっとの思いで飲み込み、かすかな寝息を立て始めた彼をそっと横抱きにする。抱え上げると目を覚ましたようだったが、左馬刻も黙っていた。

ベッドに横たえ、掛布を肩のあたりまで持ち上げる。じっと理鶯を見上げる瞳は、なんだか非難しているように見えた。額に落ちている髪をそっとかき上げると、彼はふっと目を伏せた。
今日はもう眠ってほしい。電気を消して、寝室を出ようと扉を開ける。背中に、理鶯、と左馬刻のかすれた声が届き、理鶯は彼を振り返る。
「……悪い、こんなで」
誰よりも彼自身が傷付いていると解ったので、理鶯はわずかに微笑んで首を横に振った。彼の自尊心を守る返事を、理鶯はそれ以外に探し当てられなかった。

ソファで眠ることにして、理鶯は開きっぱなしのカーテンの向こうをふと眺める。澄んだ夕闇にはかすかに星が瞬き始めている。窓に歩み寄り、目線を下に動かす。朝も夜も人々が行き交うこの街を、美しい、と思う。
理鶯はゆっくりカーテンを閉ざした。リビングの電気を消し、ソファに横たわる。彼の誇りと、彼の孤独を同じ分量で感じながら、理鶯は静かに目を瞑った。

目を覚ますと日が昇っていた。左馬刻の具合を見に行くために立ち上がろうとして、理鶯はキッチンから響くかすかな音に耳を澄ます。彼がもう起きているのだろうか。起き上がろうとすると、リビングに彼が来る気配を感じた。テーブルに何かを置く音がするので理鶯はそっと目蓋を閉じる。
「理鶯起きろ、朝飯」
ぶっきらぼうな彼の声。理鶯はもぞもぞと身を起こす。テーブルに並べられた簡素な朝食とコーヒーに、理鶯はいとおしい気持ちになる。
「……ありがとう」
「寝坊なんざ珍しいじゃねえか」
面白そうに口元で笑う左馬刻を見つめる。む、そうだな、と斜め下を向いてみせる。食おうぜ、と椅子に腰かけた彼を見て、理鶯は心からささやいた。
「小官は幸福だ」
彼を守り支えるためならば、気付いていないふり、解らないふりなんていくらでもできる気がした。彼が生きていること、風邪を引くこと。他人を傷付ける手、その同じ手で他人に与えること。そんなことの全てが、今の理鶯にはただ幸福だった。

 


 

左右は雰囲気で