風邪っぴきロマンス

兄貴が風邪を引いた。
そういえばちょっと前から咳をしていたような気がしたけれど俺はさほど気にも留めず、兄貴に訊いても「大したことはない」と返ってくるだけだったので放っておいたらなんと昨日高熱を出して倒れたのだ。
看病をしても突っぱねられるだけだろうと思ったが意外に兄貴は素直で、俺のつくったお粥を食べ体温計で熱を測った。ただ、もともと兄貴と二人でいると気詰まりなことがあって―――もちろん俺は兄貴のことが好きだったのだが―――風邪を引いて余計に無口になった兄貴を前に俺は気まずい思いを味わっていた。

倒れている兄貴を見つけたのはもう二年も前になる。
俺はその頃気楽な一人旅の最中で、ついでに兄貴を見つけたらラッキーだ、などと考えていた。俺は自分に嘘をつくのが得意だったし、何より若かった。途中立ち寄ったリーザス村にはゼシカがいて、「あんたって本当に辛そうに旅をするのね」と言われた時には、身体の中心がざわりと不穏に波立つのを感じた。
気付いてはいけない、兄貴を捜す旅なんかじゃない。嘘だろゼシカ、俺は暗黒神を倒してやっと自由の身になったんだぜ、とうそぶくと、そうね、とゼシカは微笑んだ。兄貴を見つけてしまえたらどんなに楽だろう、と思った。
そんなことがあって、だから兄貴を見つけた時には信じられない思いと喜びが半々で、急いで駆け寄って肩を抱き起こした。俺はすぐに息があるのかどうか不安になり肩を揺さぶると兄貴はゆっくりと目を開けた。走って逃げられることを覚悟していたが兄貴にそんな元気は無いようで、貴様か、と言って片頬を歪ませて少し笑うとまたゆっくりと目を閉じた。
俺は兄貴が死んでしまったのではないかと思い、そうだとしたら最後に見た顔は俺なんだなと思い、薄暗い満足感と兄貴に対する哀れみが胸を満たしていくのを感じていた。

タオルを替えに洗面所へ行くと、兄貴が何かうわ言を呟いているようで耳を澄ました。よく聞こえないが俺の名前を呼んでいるようで、俺は小走りに兄貴の部屋に戻る。
兄貴はうなされていた。途切れ途切れに、ククールが、とか、母さん、とか言っている。眉間には深く皺が刻まれていて、俺はいてもたっても居られず兄貴を揺り起こした。
「兄貴」
兄貴は驚いて目を開けると、何度か瞬きをして壁の方を向いた。俺が言葉を探していると、夢を見ていた、と兄貴がぽつりと呟いた。夢。それがどんな夢だったかなんて考えたくもない。
俺が下を向いていると兄貴は向こうを向いたまま嗚咽を漏らした。兄貴を悲しませているのは俺なのだ、と思った。

倒れている兄貴を見つけた後俺たちはなんとなく一緒に暮らすようになったが、最初の頃の兄貴は一日中ぼんやり窓の外を眺めてばかりで、いつ居なくなるんじゃないかと俺は気が気ではなかった。俺が話しかけても嫌味のひとつも返ってこず、ああ、とか、そうか、とかおざなりに返事をするばかりで、あの頃が懐かしいとまではいかずとも俺は昔の兄貴を思い出していた。
兄貴と暮らしてる、とかつて一緒に旅をした仲間たちに報告に行くと、本当に驚いたよ、お兄さんが生きていてよかったね(エイト)、でも奴は罪人なんでがしょ?頑張って匿わなきゃなりやせんね(ヤンガス)、これであんたの苦しい旅も終わりなのね、イヤミ男によろしく(ゼシカ)、とそれぞれ反応を返され、俺は仲間たちの優しさに少し涙ぐんだものだ。兄貴は元気が無く、毎日今にも居なくなりそうだと思っているとは言えなかった。

「兄貴」
俺は声をかけた。お粥つくろうか。体温を測ろうか。呼んだはいいが何を喋ればいいかわからなかった。兄貴がゆっくりとこちらを向きながら目を開ける。
美しい碧の瞳は熱のせいか泣いたせいか少し潤んでいて、普段オールバックにしている髪が一束二束乱れている。俺の胸が鳴った。これが、俺の兄貴だ。
「好きだよ」
俺は熱にうかされたように呟いた。自分がだんだん緊張していくのがわかった。俺は一体何を言っているんだと思い、慌ててごまかそうとすると兄貴が口を開いた。
「夢の中の、昔のお前は本当に憎いのに」
俺は兄貴の次の言葉を待った。死ぬほど胸がどきどきしていて、きっと自分は今すごく恐い顔をしているんだろうなと思った。
「今のお前はそんなことを言うものだから私はどうしたらいいかわからなくなる」
それともこれが夢なのだろうか、と言いながら兄貴は目を閉じる。すぐに寝息が聞こえ、俺はひとり取り残される。
兄貴、兄貴兄貴。全身の力が抜け、どきんどきんと鳴る心臓を抱えながら俺はお粥をつくろうとふらふらと台所に向かった。

 


 

夜明けのククマル