あまり寝ない話

ブラッドはあまり寝ない。夜更けと共に床につき、夜明けと共に目を覚ます。報告書に目を通しているうちに、しらじらと明らむ東の空をぼんやり眺めることもあった。かつてはきちんと眠っていたはずだったが、この砦を築いてからそうせざるを得なくなった。それはいつしかブラッドの意思になり、今や砦を築く前のことをブラッドはよく思い出すことができなくなっているのだった。
「隊長」
暗がりの方から眠たげな声が聞こえた。何だ、と机に顔を向けたままブラッドは答える。返事がないので振り返ると、簡素な寝具から上半身を起こし、もう朝になっちゃうよ、とジャスティンが目をこすっていた。
「おまえは寝ていろ」
ブラッドが言うと、ジャスティンは不興げにブラッドを見つめた。ブラッドは小さく息をつく。
「……隊長まで倒れたら困るだろ」
「俺のことはいい、日が昇ったら起こしてやる」
目元を押さえながらブラッドは呟いた。物資も部屋も足りておらず、とうとう熱を出して倒れた隊員が出た。寝込んでいる部下に部屋を与え、昨晩からジャスティンはブラッドと寝所を共にすることとなった。倒れた隊員のために部屋を提供してくれる者はいないかとたずねた時、迷うことなく手を挙げたのはジャスティンだった。ブラッドの後について部屋に入りながら彼は、隊長と同室だとは思わなかったよ、と緊張した声で呟いた。
「部屋が必要な時に、俺だけが部屋を一人で使う道理はない。まだ来て日が浅いおまえを監視したいという理由もある」
それとも俺と同室は嫌か? と尋ねると、ジャスティンは気まずそうにふいと目を逸らす。合理主義者なんだな、と憎まれ口を叩いた。ブラッドはふんと笑った。
暗がりから寝息が聞こえ、ブラッドはふっと現実に返った。机に積み上がった報告書を眺め、ふいに疲労を感じた。もう無理のきかない年齢に差し掛かっていることを認めてしまえば、今までのような夜を過ごすことはできなくなるとわかっていた。
ジャスティンも眠りに落ちたようだし、今日は俺も眠ろう。机の灯りを消し、眉間を揉んでブラッドはジャスティンの隣の寝具に横たわった。あと一時間もしたら日が昇るだろう。ジャスティンを起こしてやらなければならない。隣から聞こえる規則正しい寝息を聞きながら、ブラッドは静かに眠りに落ちた。

胸のあたりが寒い。風が吹いている気がする。ブラッドは寝返りをうった。目蓋に光が射している感覚をおぼえ、ゆっくり目を開けて上半身を起こす。部屋には日差しが満ちていた。
「あっ、おはよう、隊長」
部屋の扉を開け、ジャスティンが入ってくる。すでに午前の訓練を終えたのか、顎に汗が滴っていた。ブラッドはにわかに動揺してジャスティンを見つめた。
「よく寝てたから起こさなかったよ、レベッカに相談したら自主訓練をしておこうって」
「起こせ、俺が眠ってる間に住民たちに何かあったらどうするつもりだった」
ジャスティンは傷付いた表情をして黙り込んだ。ブラッドを思ってのことだとわかったが、見過ごすことはできなかった。
「おまえは甘すぎる、先のことを考えて行動しろ」
苦々しい気持ちで目を伏せる。ジャスティンが、じゃあ訊くけど、と震える声を出した。
「隊長は一体いつちゃんと寝るつもりなんだよ、いつまで続くのか判らないのに、いつまでもあんな無理できるわけないだろ」
ブラッドはジャスティンを見つめた。青い瞳に怒りが灯っていた。
「俺やレベッカだって何も考えてないわけじゃない、休める時には休んだ方がいいに決まってる」
ブラッドは何も言えずジャスティンを見つめた。いつかに、合理主義者なんだな、と目を逸らしたジャスティンを思い出した。
「……それにさ、もっと頼ってほしいんだ、隊長、ゆうべ言ってたから……」
にわかに熱を帯びたジャスティンの様子に、目を伏せていたブラッドは驚いて彼を見る。こいつに何かを言った覚えはなかった。不安を感じながら、何だ、とブラッドは小さくたずねた。
「温かい、って、俺の肩のあたりに顔くっつけただろ」
ブラッドは自分の背筋が冷たくなるのを感じた。覚えていないことが恐ろしかった。弁解の言葉を探していると、ジャスティンが続ける。
「こんな冷たい砦で、皆を守りながらこの人はずっとひとりぼっちで寝てたんだって、だから俺さ……」
「……ジャスティン」
ブラッドは片手を上げた。これ以上何かを言われるのは耐え難かった。
ブラッドは砦を築く前のことを思い出そうとする。訓練の最中、目の潰れるような光が差した日のこと。光を浴びた仲間たちが、次々と姿を変えてしまったこと。言葉が通じなくなり、涙を流す間もなく銃を構えなければならなかったこと。
「……すまなかった」
聞こえないくらいの声でささやくと、ジャスティンは涙をこらえるような表情をした。ううん、と微笑み、顔を伏せる。
ひとりで寝るのは慣れていた。あまり寝ないのも、ブラッドの意思となったはずだった。自分で望んでそうしているのだと、ブラッドは信じて疑わなかった。
俺さ、俺の部屋が戻っても隊長の部屋で寝たい、とジャスティンが言った。彼のまとう空気が熱でふるえる。ブラッドは驚いてジャスティンを見つめ、しばらくして頷いた。片手で顔を覆ったジャスティンを見る。ブラッドの喉は緊張でからからに渇いていた。けれど少しでも健やかに眠れるのだと思うと、胸にあたたかな感情が満ちるのだった。

 


 

ジャスブラしんどいどころじゃなかった頃に書いた