セカンド・プロポーズ

隣に寝そべっているジャスティンが、真剣な表情でブラッドの頬に手を伸ばす。目を上げたブラッドはジャスティンの瞳を見る。仄青い光がかすかに揺らめき、ブラッドは少しぼうっとしてそれを見つめた。
「返事さ、いつでもいいから」
ジャスティンの手のひらがブラッドの頬に届いた。薄い膜を一枚隔てた向こうにあるようなジャスティンの体温。ブラッドはゆっくり目を伏せる。視界に入った掛布の白さがいやに眩しく映った。

未来が欲しい、とジャスティンが言ったのは昨日のことだ。俺の未来をあげるから、ブラッドの未来が欲しい。ソファで本を読んでいたブラッドは驚いてジャスティンを見た。マグカップをふたつ手にして、キッチンから出てきたジャスティンはブラッドの隣に座った。
ジャスティンの言葉に乗せられている覚悟と感情は痛いほどわかった。この男と未来を約束できたらどんなにいいだろうと思った。それでもその時ブラッドは、頷くことができなかった。ジャスティンの視線から逃れるようにしてマグカップに手を伸ばす。一口飲むと、コーヒーの味が苦く広がった。
自分がミルクも砂糖も入れないコーヒーを好むことを、ブラッドはジャスティンと暮らし始めるまで知らなかった。今までは考える余裕も必要もなかった。初めて知ったことは他にも山ほどある。自分が何も入れないコーヒーを好むこと、ジャスティンは掃除が苦手なこと、自分の好きな料理、それに自分の――。
ブラッドはジャスティンを見つめた。ジャスティンも驚いてブラッドを見つめる。やがてふいと目を逸らし、今じゃなくてもいいから待ってる、と呟いた。

もしも息子がいたらこんな風だったかもしれないと想像したことがある。
ジャスティンは表情がよく動く。初めは、思っていることがそのまま顔に出ているのだと思った。ブラッドは眩しい郷愁に目を細める。けれど彼と接するうちに、それは正しくないことを知った。同時にジャスティンという人間をもっと知りたいと思った。それから彼を掬い上げたいと思うのに、そう時間はかからなかった。
ジャスティンは笑う。ブラッドを守る、と真剣な瞳でささやく。手を伸ばす。彼は慈しむということを知っている。
その手を取ることができない理由に、ブラッドは気付かないふりをした。彼の手を取るには、自分は年を重ねすぎている。それに人殺しの自分が幸せになることは許されない。ブラッドはゆっくり目を閉じた。かつて愛した人と、そのお腹にいた顔も知らない子が目蓋の裏に浮かんで消えた。

7日の後、ブラッドはジャスティンに返事をした。ジャスティンの未来を受け取ることを、ブラッドは静かに断った。
ジャスティンはブラッドを見つめた。ブラッドはジャスティンの瞳を見ることができなかった。俺はそんなに頼りない? と、ジャスティンは感情の読み取れない声で言った。
そうではなかった。けれどジャスティンはそう感じているのだと思うと、ブラッドはそれを否定しなければならないと思った。ジャスティンが本当ではないことを正しいと信じるのを、ブラッドはほとんど本能的におかしいと思った。それは違う、と言おうとしてブラッドは口をつぐんだ。じゃあどうして、と訊かれたら、ブラッドは今度こそ何も言えなくなるからだ。
「ブラッド」
ジャスティンの声が震えた。ブラッドは、自分の大切な何かを守っている牙城のようなものが突き崩される予感を感じた。これはこんなに脆いものだっただろうか。自分は今まで、一体何を後生大事に守ってきたのか。
「俺は、おまえを失うのが、怖い」
湿った声が空気を震わせた。静かな夜の時が止まった気がした。
「おまえと未来を約束したい、だがもし失ったらと思うと、その時の痛みが怖くて仕方ない、それなら深入りなどしない方がいい」
ジャスティンはしばらく黙っていた。ブラッドは合理主義者だからな、と後頭部を掻く。
「ブラッドに言ってなかったけど、俺、ブラッドが死ぬまで絶対に死なないから」
ブラッドは驚いて目を瞬いた。ジャスティンはブラッドを見つめる。澄んだ青が揺らめくことなくそこにあった。
「だからそれは全然合理的じゃない、的外れもいいとこだよ」
ブラッドはジャスティンの眼差しを受け止める。絶対などということが無いことは理解していた。けれどブラッドは、自分がジャスティンの言葉を信じてしまったことも同時に理解した。からからに渇いた喉から、かすれた声が漏れた。
「ジャスティン」
ジャスティンはかすかに首を傾げた。彼もまた、ブラッドが言うことを理解しているのだと思った。
「俺はおまえの未来が欲しい」
ジャスティンと暮らし始めてから知ったことが山ほどある。何も入れないコーヒーを好むこと、ジャスティンは掃除が苦手なこと、自分の好きな料理、それに自分の欲しいもの。ブラッドは顔を伏せた。欲しいものをただ望むのが、ずいぶん久しぶりのことのような気がした。

 


 

ブラッドさんの過去を捏造してるよ