ヒルダに母のような要素を感じるダンテの話

そいつはいつも一匹だけ他の仲間から外れていた。毛並みがごわごわと硬くやせっぽちで、青い光が揺らめくような虹彩のほかに魅力はなかった。器量が悪く、声もしゃがれていた。他の猫と喧嘩をしたら、勝つことが少し多いくらいのやつだった。そいつは眠るときいつも俺のそばに来た。俺はそいつのすこやかな寝息を聞きながら、弟か妹でもできたような感慨に浸った。村の大人に、その猫がいなくなった時はそいつが死んだ時だと思うといい、と俺の頭を撫でた人間がいた。年中詩を書いているような気の弱い青年で、俺はその時、その優男のふくらはぎのあたりに蹴りを入れた。猫はおまえに死ぬところを見せたくないんだ、と青年はなおも続ける。俺が下を向くと、青年は生意気な子供だった俺の頭に再びぽんと手を置き、早くおうちに帰りなよ、と笑った。
けれど俺はその猫の死んだところを見るはめになった。きれいだった瞳を潰され、飛び出した内臓を焼かれているようだった。青年のことはわからない。村の大人で、その時一緒に死んだのかもしれないし、旅の人間だったのかも。幼い頃の記憶はおぼろで、惑う時にしか立ち上らない。俺は惑うことが嫌いなので、思い出さないままどんどんおぼろになっていく。それでも記憶は静かで、穏やかで、緑の光に包まれている。

「ダンテ!」
甲高い声が路地裏に響き、俺は振り返った。ドロシーだ。しゃがみ込んだまま、何だ、と訊ねる。
「ま~た野良猫に餌なんてやってんの」
俺はこいつと話すといつも、キャンキャンうるさい犬か何かを相手にしているような気持ちになる。構わずに猫の方に向き直ると、ドロシーは珍しく俺の手元をのぞき込む。
「何だよ」
「ダンテがそうやって猫の世話してんのさー」
俺は猫から目を離さなかった。ヒルダに対してだけの構ってほしがりが、気まぐれに何かの拍子に俺に向いているのだと思った。ドロシーは続ける。猫がちらりと目を上げ、ドロシーを見た。
「なんか、親……とかそーゆーヤツみたいだなって思って……ぶっさいくな猫だねー」
俺は思わず隣にかがんでいるドロシーを見る。ドロシーのフードの奥の瞳は見えなかった。うるせえよ、と口を開こうとすると、ドロシーはひらりと身を翻した。
「ヒルダが呼んでるよ」

ヒルダの前にかしずきながら、俺はドロシーの言葉を考えていた。親、とはよく言ったものだ。父母の記憶などほとんどなく、最後に覚えているのは悪戯をした俺を地下に閉じこめる大きな手のひらだ。それでも遊んで泥だらけになって帰ってくれば、いとおしげに抱きとめてくれた手のひらだって覚えている。覚えている、と言うのは間違いかもしれない。そうかもしれないと思うだけで俺が記憶を自分の都合のいいように改ざんしているのかもしれないし、思い出そうとすればまばゆい緑の光に目を閉ざすほかなくなる。
「ダンテ」
俺は顔を上げた。物思いにふけっていたようだ。厳しい顔つきのまま、ヒルダは俺を見下ろす。俺は自分の行為を瞬く間に恥じる。
「すまない」
「惑っているの?」
ヒルダはふっと表情を緩め、かすかに笑った。俺はヒルダを見つめる。緑の光が揺らめくような錯覚に陥る。俺はあんたにそんな顔をしてほしいんじゃないのに、それなのに。
「か、かあさ……」
うわ言のように喉の奥から出た言葉を俺は最後まで言わなかった。ヒルダが全部わかっているように首を傾げる。今自分はなにを考えたのだろう、と思うと、心の底から恐ろしかった。恐る恐る目を上げ、ヒルダの表情を盗み見る。普段のように凛とした、意思の強いヒルダの瞳。幼子のように安心して目を伏せると、もう緑の光は俺のふるい記憶の中だけのものだった。

 


 

ダンテが一皮剥けるがその皮を自ら張り直す系のやつ