男女

「日曜日、お米買いに行きたい」本を読んでいる彼の後ろから顔を出す。うん、と生返事する彼を見つめ、手元の本を覗き込む。「何の本読んでるの」「内緒」本を隠そうともしない彼に私は不満を覚える。黙り込むと、みはる、と息を漏らすようにして私の名を呼ぶ…

姥捨て山

出るよ、と彼女は言った。ほら、丘の上の。ぼくにそう伝えた人が彼女だったのか彼だったのか、もはや覚えていない。ぼくはその頃ほんの子供で、だから近寄っちゃいけないよとか、早くおうちに帰りなさいだとか、きっとそういった聞き飽きたような言葉と一緒に…

種馬

ゆうべは彼女のお腹ばかり見ていた。彼女の呼吸にあわせて上下するタオルケット、ぼくの子供がおさまっているすこやかな丸いふくらみ。その日は一日じゅう雨で、降り続いている雨のにおいが部屋の中にまで満ちていた。うっすら目を開けた彼女が「どこを見てい…

ヒルダに母のような要素を感じるダンテの話

そいつはいつも一匹だけ他の仲間から外れていた。毛並みがごわごわと硬くやせっぽちで、青い光が揺らめくような虹彩のほかに魅力はなかった。器量が悪く、声もしゃがれていた。他の猫と喧嘩をしたら、勝つことが少し多いくらいのやつだった。そいつは眠るとき…

下半身不随ネタ

いかないでくれ、と呟いた声は震えていた。俺は今まで自分の声というものを意識して聴いたことはなかったが、今回は、震えている、とはっきりわかった。口の中がからからに渇き、ひどい頭痛がする。おまえはもう一度、はっきりと言った。「いいえ、さようなら…

明彦×美鶴

私はいつも、少し悲しい。そうたとえば性交の後、眠ってしまった男の横でぼんやりと前を向いている時などにその悲しさはふいに訪れる。部屋は月明かりで仄明るく、目が慣れているので隅々までどうなっているかがわかる。男――名を明彦といって、私は明彦以外…

足立と菜々子の話

じゃあ、いつまでここにいるんですか。その少女は僕を疑うこともせず屈託なく笑った。初夏というにはまだ早い四月の終わり。風が吹き、うすく汗ばんだ身体を乾かしていく。いやあ、すぐに帰るよ。まつ毛を伏せると、自分が二十も三十も年をとってしまったよう…

花村×千枝

1小西先輩のお墓はその墓地の一番奥にある。八月。陽射しの眩しさに顔をしかめながら俺はその場所に向かって大股で歩く。今日は暑いが風がある日で、背の高い木に囲まれた小西先輩は少しだけ涼しげに見えた。風が吹いて木が揺れるせいで木漏れ日がちらちらと…

倦怠期の花千枝

「花村」自分の席で仲村君と話しているあいつに声をかける。ふたりいっせいに振り返り、私は少し怯んだ。「一緒に帰ろう」「お?おう」わりーな、俺モテモテだからさぁ、などと軽口を叩きながら仲村君に片手で謝る。いけしゃあしゃあと。仲村君は笑って、じゃ…

こわかったんだ

ねえ、このことをもし君に告げたら、君は笑い飛ばしてくれるかな?ウェーブのある髪を高い位置で結って、髪とおんなじ色の瞳で。明るくて元気というのとは少し違うけれどいつもにこにこしていて、でも僕が思ったよりずっと色々な表情を持ってる。僕の弁をもっ…

ヒーロー・イズ・カミング・レイト

店の扉を押すと、いらっしゃいませと元気な声が耳に届く。おう、と返事をしながら、ルスキニアは厨房の奥から出てきた少女を見てふっと笑う。少女はちょっと驚いてから小さく歓声を上げた。「ルスキニアさん、お久しぶりですね」「変わりないか、ネネ、少し背…

世界を抱く女

三十を過ぎたあいつが恋人を作らないので、同性愛者だと噂が立った。噂話なんて暇な連中の下らない遊びだと俺は笑ったが、あいつは普段のように笑い飛ばすということをしなかった。真剣な表情で考え込むので、俺は肩すかしを食らった気持ちで口を開く。「なん…