倦怠期の花千枝

「花村」
自分の席で仲村君と話しているあいつに声をかける。ふたりいっせいに振り返り、私は少し怯んだ。
「一緒に帰ろう」
「お?おう」
わりーな、俺モテモテだからさぁ、などと軽口を叩きながら仲村君に片手で謝る。いけしゃあしゃあと。仲村君は笑って、じゃあな、と言った。

「お前さ、ちょっとは考えろよな」
校舎から出たとたん花村は文句を言う。もちろん仲村君には悪かったと思っている。私たちが付き合っていることがみんなに内緒だってこともちゃんとわかっている。
「…花村と帰りたかったから」
私は仏頂面のまま言った。花村は目を伏せ、はは、と乾いた笑い声をたてた。
「嘘つくなよ」
嘘つきはどっちだと思っているのだろう。私は般若にでもなったような気持ちで思う。今日は、綺麗な夕焼けだ。

花村にはその昔、大好きな先輩がいた。
同じバイト先の一年上の先輩で、ベージュ色に染められパーマがかかった髪にきつい一重瞼が印象的なひとだった。わかりやすい花村はその先輩の話をする時顔をぱあっと輝かせ、その頃の私はそんな花村を微笑ましく眺めていた。応援してあげたい、と思っていた。
しかししばらくして、その先輩は亡くなってしまう。
その時の花村の落胆ぶりは尋常じゃなかった、と今になって思う。表面上は普通だが、なんというかまとう空気が花村のまわりだけ重いのだ。私は花村が気の毒になり、不謹慎なことだが愛しい、と思った。

「今日花村の家行きたい」
少し後ろを歩いていた花村の方を振り返って言った。花村は、勘弁しろよ、と眉をすこし持ち上げてみせたが、
「まぁ、別にいいけどさ」
と言った。

あとはもう、お決まりのパターンだった。私たちはもつれ合いながらベッドに倒れこむ。
「ん…」
今日の花村は少し強引だ。私の小ぶりな乳房を手ですくいとり口付ける。膝に、硬くなった花村の熱を感じた。
「千枝…」
ふたりきりの時だけ、花村は私のことを名前で呼ぶ。私は、陽介だなんて死んでも呼んでやらない、と思う。ぼんやりとうつろな気持ちのまま行為を終える。きっと花村も同じ気持ちだったのだろう。私が花村にシンパシーを覚えるのはこういう時だけだ。

私から告白したのだからある程度は仕方ないとは思うけれど、それでも様子を見ていると、花村はまだ先輩のことを忘れられてないみたいだった。
私を通して、先輩を見ている。私の中に先輩のような部分を探している。私と先輩を、比べている。もちろん花村が口に出したわけじゃないけど、そのくらいのことは私にだってわかる。
そこまで考えて私は少し笑った。あんまりうまくいかなくて、こうやってぐずぐずと仲直りのセックスをして、それで私たちは一体どうするつもりなのだろう。

裸で横たわったまま私はカチャカチャと制服のズボンをはいている花村を見た。鮮やかなオレンジ色の下着。それは花村にすごく似合っていた。
「ねえ、花村」
花村は振り返った。そのままぼんやりと私を見つめる。これだ、この目だ。花村が、先輩を見ているときの目。
「別れよっか」
うすく微笑みながら私は言った。花村は、何笑ってんだよ、と呟く。窓の外はオレンジに藍を流し込んだようになっていて、綺麗だった夕焼けは面影もなかった。

 


 

書いたのは2010年頃 花村をなんだと思っていたんだよ