友達をやめた日

友達に会いに行くのをためらう日が来るなんてロイは思わなかった。忙しいかもしれないとか、迷惑かもしれないとか、あるいはもっと単純に、相手は自分に会いたくないかもしれないとか。そんな相手ではないとちゃんと思っていても、もしも会いたくないそぶりをされたらと考えるとロイは会いに行くことを選べないのだった。かつてロイの護衛隊長をしていたエヴァは、あなたを迷惑がるような男ではなかった、そこは信じてやったらどうでしょうかと静かに呟いた。目を伏せた彼女のえりあしから出た後れ毛が、数本白くきらめいていた。
ロイは何かが胸を重苦しく塞ぐのを感じた。自分は彼を信じていないのかもしれないと思った。そうだねと彼女に微笑みかけ、今度会いに行くよと目を閉じた。それきりロイは考えることをやめてしまった。彼に会いに行くのをためらっていること、彼を信じていないのかもしれないこと、どうして今になってそんな考えを抱くのかということ。考えることは得意だったはずなのに、彼のことは考えたくなかった。それがどうしてなのか、ロイはわからないふりをした。

「ロイ様」
鏡の前に座っていたロイは振り返った。扉を開けたエヴァがロイに歩み寄る。白いスーツに身を包んでいるロイの襟をそっと直し、素敵ですよと微笑んだ。
「そろそろ式が始まります、皆待ちかねていますよ」
わかった、とロイは立ち上がった。前を歩くエヴァの高い位置で結った髪を眺める。昔はエヴァが前を歩くときは背中しか見えなかった。迫る郷愁に目が眩みそうになり、ロイはそっと片手で顔を覆った。
「お幸せなのですね」
エヴァは前を向いたままささやいた。彼女は知らない。これは政治的な利害のある婚姻だ。それをひとりで選んだのはロイで、だからそのことを知っているのはロイしかいない。

式はとどこおりなく終了した。この頃は国のために何かを捨てたり諦めることが増えた。これからはもっと増えるだろう。外の空気を吸いたくなり、ロイは裏口からひとりで会場の外に出た。会場にいると息が詰まるように感じたのも、もしかしたらある種の予感かもしれないと思った。路地の壁に背をもたせて立っていたのは彼だった。
「よう」
「イーヴァルさん……!」
ロイは涙がぽろりとこぼれるのを感じた。懐かしい友達に歩み寄り、頭から足先まで眺めた。年を取っていたが、笑った目元はまさしく彼だった。
「急に小僧に会いたくなってな、会いに来ちまったわ、随分でかくなったな? こんな立派な小僧を見られるなんて、長生きしてみるもんだ」
ロイは大きくしゃくり上げた。なんだ泣くな、とイーヴァルの驚いたような声が遠くに聞こえた。
「会いたかった」
ロイが震える声でささやくと、イーヴァルは肩をすくめた。式見てたぜ、かわいい嫁さんじゃねえか、とかすかに笑う。ロイは言葉の出なくなった錯覚に陥った。胸のうちで彼に語りかける。イーヴァルさん、私はあの人を好きで結婚したわけではないんです――。
「まあ今日はさすがにお邪魔だったかな、また会いに来るから、その時に積もる話を聞かせてくれよ」
「もう会いに来ないで下さい」
ロイは消え入りそうな声で呟いた。イーヴァルの顔を見ることはできなかった。小さく息をつく音が聞こえたが、イーヴァルは低く笑っただけだった。
「……はは、年を取ると相手の迷惑を考えなくなっていけねえや」
ロイは自分の方が二十も三十も年を取ってしまった気がした。達者でやれよ、と声が聞こえた時には、もう彼はひらりと手を振り背を向けていた。

ロイはその場にしゃがみ込んだ。本当は、本当はあなたに連れて行ってほしかった。好きでもない人と一生暮らすことになった私を、いつものように守って連れ出してほしかった。けれどそうはいかないことを一番理解していたのはロイ自身だった。懐かしいイーヴァルと話していると、感情がもつれてそのことを口に出してしまいそうだった。だから彼とはもう会いたくないのだ、だから……。
ロイは考えることをやめた日のことを思い出す。天の啓示のように、あの時の問いへの解答が舞い降りた。私はきっと、彼に恋をしていた。
ロイは立ち上がることができなかった。彼よりも国を選んだことが、現実として両肩に降りるのを感じた。兵たちの走ってくる音が聞こえ、ロイは顔を上げる。ロイ様こんなところにいたのですかと、ロイの妻になる女が兵たちの後ろから顔を出した。

 


 

パラディアとしてはハッピーエンド