初めて手を繋いだ時のレナセラ

こんなはずではなかった、とレナートは思った。
「……レナート?」
少し前の方からレナートを呼ぶ声がした。レナートが立ち止まったので、隣を歩いていた少女が前に出る形になってしまい振り返る。
「どうしたのですか?」
少女は不思議そうにレナートを見た。雪の降りしきる街を背景に、少女の輪郭が浮かび上がって見える。レナートは少しぼうっとして少女――セラフィーナを眺めた。
「……なんでもない、足元に気をつけろよ」
はい、と笑ったセラフィーナを見て、レナートは自分の頬もゆるむのがわかった。セラフィーナに追いつくと、きゅっと服の袖を握られた。レナートは驚いてセラフィーナを見る。セラフィーナは目を伏せてはにかんだ。
「雪が融けて、転んでしまうといけませんから」
レナートは返事をすることができなかった。服の袖を握ったセラフィーナの手をそっと振りほどき、代わりに左手で握った。今度はセラフィーナが驚いてレナートを見上げる。セラフィーナのやわらかな手のひらの温度が、心臓まで到達するようだった。セラフィーナの行動のいちいちがこんなに気になること、触りたくてどうしようもなくなる時があること、その感情の正体をレナートは知らなかった。こんなはずではなかった。

革命は果たされなかった。レナートは今となって、こんなに簡単なことがどうしてあんなにややこしくなっていたのだろうと思うことがある。先入観に誤解が重なり、怒りで周りが見えなかった。その時は、本当に国を思っているのは自分たちだけだと思っていた。ともかくそれでうまくいかなかった。たくさんの血が流れ、こんな風に街が復興し始めたのも最近のことだ。あの国が荒れたひどい時期にレナートはセラフィーナと出会った。セラフィーナはいつも一生懸命だった。一生懸命で、それが空回りをしてしまう程度には世間のことを知らなかった。

「レナート」
呼ぶ声に、レナートは目を上げた。正面から二人に声をかけたのはロザーリアだった。
「帰り?」
「はい」
セラフィーナが答える。ロザーリアの目線がレナートの左手に移り、ふっとその瞳が細められた。
「ひとりじゃ危ないから、送ってるんだ」
「そうね、そういうことにしておきましょう」
微笑み、ロザーリアはひらりと手を振った。ロザーリアさんもお気を付けて、とセラフィーナも笑った。
「ロザーリアさん、かっこいいですね」
「ああ、革命義勇軍にいた頃は憧れてた」
「今は」
レナートは呟くように言ったセラフィーナを見た。セラフィーナはそっと目を上げ、レナートの返事を待っているようだった。
「今も憧れてる、けどあの頃の焼けるような羨ましさはなくなった、目的を果たすために必要な、俺がどんなに努力しても手に入れられない力をロザーリアは持ってた」
セラフィーナは小さく息をついた。努力しても手に入れられない力、と呟くと、セラフィーナはレナートを見上げた。何かを考えているのだとわかった。
「レナートは、今でも力が欲しいですか?」
レナートは押し黙った。今でも、というより、今だから欲しい力があった。けれどそれをセラフィーナに上手に説明できる気はしなかった。欲しい、とだけ答え、静かに目を伏せた。

レナートは今でも思い出すことができる。その晩はひどく吹雪いていた。一緒の毛布に包まりながら、徐々に冷えていく少女の体温。木で造られた寒い家の中で、もう食べるものもなかった。両親が死んでからふたりで支え合い生きてきた、たった一人の妹だった。レナートはその時、食べ物を調達しに行くことよりも妹の傍にいることを選んだ。果たしてその選択が正しかったのか、今となってはわからない。けれどレナートは正しかったと思ってここまで来た。その選択が正しかったと信じることは、今のレナートを支えている大事な何かだった。
レナートは歩きながら、セラフィーナの手を握り直す。あんな思いはもうしたくなかった。セラフィーナが笑みをこぼす気配を感じ、レナートは目を上げる。
「レナート、送ってくれてありがとうございました」
「セラフィーナを守る力が欲しい」
レナートは熱にうかされたように呟いた。セラフィーナはぽかんとしてレナートを見上げる。
「……違う、違うんだ、こんなこと、言うつもりじゃなかったんだ、こんなつもりじゃ」
なかったんだ、とレナートは消え入りそうな声で呟く。レナートはセラフィーナの顔を見ることができなかった。
「……私も、レナートを守りたいです」
ささやいたセラフィーナの声に、レナートはセラフィーナを見つめた。頬がかすかに赤みを帯びていた。レナートは自分の胸の奥で、妹が死んでから凍っていた何かが再び動き始めるのがわかった。それが静かに脈動を始め、レナートを内側から圧迫した。
こんなはずではなかった。

 


 

夜明けのジェリーダ