こんな所に人が生きてそして死んだ話
店に行くと数人の店員が厨房に溜まっていた。店長は午後からだとさ、と一人がカミヤを見る。
「どうすんの、お前」
区画整理のことだとわかった。暮らせなくなるだなんて実感が湧かなかった。カミヤが黙っていると、まあまだ先だしな、と店員は目線を外す。
「住む場所とか用意してくれんのかね」
「役所? なんてどこにあんだ」
エプロンを巻きながら、ちゃぶ台に置きっぱなしの封書を思い出す。あの後ケンゴとその話はしていなかった。普段通りに寝起きし、仕事に行き、ケンゴが起きていれば当たり障りのない話をした。一度だけ訊ねてみたこともあったが、四年ってまだだよ、と真顔で言われたのでカミヤはそのままにした。
入口が開き、客が入ってくる。この頃はあまり見ない客が増えた、と思いながらカミヤは厨房を出る。お好きな席にどうぞ、とケンゴより少し若いくらいの青年に声をかける。カミヤをちらりと見ると四人掛けの席に腰掛けた。店員達が喋るのをやめ、カミヤは注文を聞きに行く。
最後の客が帰り、入口を閉めると店長が厨房からカミヤを手招きした。テーブルを拭いていたもう一人の店員も呼ばれ、彼に声をかけてカミヤは厨房の段に上がる。区画整理の話は知ってるな、と店長は切り出した。
「……ここは俺の親父の店なんだが、畳んで他のとこに店を出すことを考えてる」
カミヤは隣に立っている店員をそっと窺う。彼も神妙な面持ちで店長を見ていた。
「ここいらは色んな奴が流れ着くんで、そういう奴らの面倒も見てたらしいが……まぁ昔の話だ」
煙草に火をつけ、白い煙に目を細める。近頃警察が来てるのもそれでだろうよ、と続けた。
「……お前ら、俺が出す店で働かねえか」
カミヤは思わず店長を見る。黒い瞳が見通すように光り、四年なんてすぐだ、と煙を吐く。返事をできずにいると、両親に話してみます、と隣の店員が口を開いた。カミヤより少し年上の彼を見上げ、目線を戻してカミヤも口を開く。
「おれも、父……に、話してみます」
無理にとは言わねえし、駄目だったらいい、と店長は灰皿に煙草を押し付ける。口角を上げて笑い、じゃあ明日からも頼む、と呟いて立ち上がった。カミヤ達に背を向けた店長を眺めていると、隣の店員がカミヤの肩を叩く。裏口を示した彼に頷き、連れ立って店を後にする。
遠くの空がしらじらと明らむ。星が滲み、青が少しずつ白くなるのを眺めていると、朝も悪くない、と思う。階段の方で物音がし、カミヤは仰向けに寝そべっていた半身を起こす。屋上に来たのはメイだった。
「あら、カミヤ」
屋上の端にさっさと向かい、鞄からパレットや絵の具を取り出す。絵を描き始めたメイの背に、朝もいいな、と声をかける。メイが返事をしないので、立ち上がって屋上の端に歩み寄った。紙を覗き込むと前の続きを描いているようだった。澄んだ青を眺めながら、カミヤは思わず口を開く。
「……おれさ、この辺りが自分そのものなんじゃないかって思う時あるんだ」
メイは手を止めてカミヤを見た。自分は何を言っているんだと思い慌ててごまかそうとすると、メイが口を開く。
「出られない気がするっていうこと?」
そうではなかった。けれど、そうじゃなくて、と言うのは憚られてカミヤは口をつぐむ。自分によく似ているというか、自分の一部というか、そんな感覚だった。メイは紙に目を戻し、そういうことはあるわね、と呟いた。通じなかった、と思いながらメイの絵を眺めていると、ねえカミヤ、と不意にメイが振り返る。
「これから学校に行くんだけど、一緒に行かない」
学校、という言葉を理解するのにしばらくかかった。え、と思わずメイの顔を見る。
「おれ、通ってないけど」
「黙っていればわからないから平気、今日は仕事?」
今日は休み、と答えると、じゃあ行きましょう、と言いながら筆や紙を片付ける。呆気にとられてメイの横顔を見る。学校とは何をする場所なのか、本当に行ってもいいのか、そんなことを訊ねようとしたがメイはもう鞄を持って立ち上がっていた。カミヤを待っている様子の彼女に頷き、屋上の入口の方に歩を進めた。
学校は外とは違う匂いがした。大きな建物で、壁に文字が書かれた紙や絵が貼ってある。物珍しさに辺りを眺めながら前を歩いているメイを追うと、メイは脇にある部屋の扉を静かに開けた。入口付近に座っている二、三人が振り返る。部屋の中にいる顔はみなカミヤと同じくらいの年齢に見えた。
「メイ、昨日いなかったでしょ」
髪の短い女の子がメイに話しかける。目線がカミヤに移り、再びメイの顔をじっと見た。
「……彼氏?」
「友達」
メイは笑って返事をした。そこの席空いてるよ、と他の女の子がカミヤの肩を叩く。周りの子がしているように椅子に座ると、前にある扉から本を持った大人が入ってくる。さざめいていた室内が静かになり、全員いるな、と辺りを見渡した大人が言った。
大人が出て行くと再び室内はお喋りに満たされた。本を見せてくれていた隣の男の子が、どっから来たの、とカミヤに訊ねる。なんと答えていいのかわからず、路地の方、とだけ答える。へぇ、と男の子は興味深そうにカミヤを見た。
「カミヤは普段は仕事をしているの」
「え、彼氏じゃねぇの」
「友達」
「仕事って何してんの」
メイからカミヤに目線を戻し、男の子がたずねる。食べもん出す店、と返事をすると、ふうん、と彼は頷く。
「俺も早く働きてぇ」
言い、机に突っ伏す。金ない、と続ける彼の後頭部を眺める。学校に通っていると働けないのか、とぼんやり思っていると、後ろの扉が開く音がした。
「メイ、他校の生徒連れ込んだのは誰だって言ってる」
髪の短い女の子が慌てた様子で走ってくる。メイがカミヤを見、先生に見つかる前に帰って、外まで送る、と真剣な眼差しで言う。何がなんだかわからずメイに引っ張られるまま部屋を出る。また来いよ、と男の子が顔を上げて手を振るのが見えた。
目を開けるとケンゴの後ろ姿が見えた。ちゃぶ台に向かっていたケンゴは振り返り、おはよう、と笑う。
「……おはよう」
寝ていたようだった。窓際に歩み寄って外を眺める。昼の早い時間で、薄暗い路地にまばらに人が歩いていた。
「……おれ、今日学校行った」
「夢の話?」
ケンゴは冊子を開いていた。話をするのが億劫になりカミヤは息をつく。代わりに、働いてるとこの店長がさ、と呟く。
「区画整理したら他のとこに店を出すから、働かないかって」
ふむ、とケンゴは頷いた。カミヤはどうしたい、と穏やかにたずねる。
「……まだ先のことだから、わからない」
うつむいて呟く。四年後、ここが公園になっているなんて未だに実感がなかった。ケンゴ、とカミヤは口を開く。
「この辺の外ってどんな風なの」
「色々な人がいて、色々なことがある」
カミヤは非難がましくケンゴを見た。この人は答えているようで答えていない時がある。それにケンゴ自身の話を聞いたことは殆どない、とカミヤはふと思い当たる。
「……ケンゴってさ、何でこの辺りに来たの?」
「……もともと旅をしててね」
ケンゴは口を開いた。俺には一つ下の弟がいるんだけど、折り合いが悪くてね、旅をしている間に国境の辺りで足止めを食ったことがあるんだ、と続ける。冊子に目を落としたままのケンゴをカミヤはまじまじと眺める。国境って何だ、と思ったがケンゴの話の続きを待った。
「……その時は一ヶ月くらい経って帰れるようになったんだけど、帰ったらその間に弟が俺の部屋の物を全部捨ててさ、服からなにから全部。それでそのままもういいやって」
働きながら旅をして、金も帰る場所も無くてカミヤと会う少し前からこの辺、とケンゴは笑った。へぇ、とカミヤはかろうじて反応をした。
「……そうだったんだ」
昔の話だね、とケンゴは目を伏せた。ご飯にしようか、と静かに立ち上がったケンゴに、うん、と返事をする。
屋上にたどり着くとメイの背が見えた。メイがいることにもなんとなく慣れた、と思いながら屋上の端に歩み寄る。今日は鉛筆で下書きをしているようだった。
「……前のは?」
「完成して、家にある」
メイは振り返る。カミヤの姿を捉えると、この間はありがと、とかすかに笑った。
「……こないださ、何で学校に連れて行こうと思ったの?」
カミヤは不思議に思っていたことをたずねた。メイは鉛筆を動かしながら、カミヤにも見てほしかったから、私が普段いる場所、と呟く。どう返事をしたらいいかわからず黙っていると、ねえ、とメイは顔を上げる。
「これからどこかに行かない」
階段を下り、薄暗い路地を進む。切れている電線や紐に干さった洗濯物なんかを物珍しげに眺めるメイを見、歩いたことはないの、とたずねる。メイは頷いた。
「ええ、危ないからって」
ふうん、とカミヤは頷く。露店の店主や座って話をしている大人がカミヤ達を窺っているのがわかった。こういう風になってるのね、と神妙にメイは呟いた。
「……昔はさ、同じくらいの子がよくいたし、他の所に住んでる子も遊びに来てた」
へぇ、とメイは言い、路地の奥をじっと見る。なに見てんの、とメイの目線の先を追うと、あの人腕が無い、と聞こえないくらいの声でささやいた。
ウデナシはカミヤとメイを一瞥すると、そのまま路地を進んで行った。昔からいるよ、頭がおかしいんだけど何かしてくる訳じゃない、とメイを見る。カミヤの服を握っていた手を離し、そう、とメイは呟いた。
「昼間はあんまり、見るもんはないかなぁ」
辺りを見渡しながら独り言のようにカミヤが言うと、メイは壁に貼られた紙を見ていた。人さらい、と紙を見ながら呟いたメイの横顔を見、文字読めんの、と思わずたずねる。
「……読めるわよ」
訝しげにメイはカミヤを見た。カミヤは黙り込む。自分は読めないし、店にも読める人と読めない人がいる、と口にするのはやめた。
「……うちで遊ぶ?」
メイはカミヤを見て問いかけた。まだ日は高い位置にあった。頷き、カミヤは苔生した路地を曲がった。
人の家に入ったことはなかった。今は誰もいないから平気、と靴を脱ぐメイに倣って右の部屋に入る。静かな室内にはたくさんの絵が飾られてあり、紙や絵の具が床に置いてあった。カミヤがぼんやり絵を眺めていると、飲むもの持ってくるから待ってて、と言いメイはドアを閉めた。絵からわずかに漂う絵の具の匂いを感じながら、何個も部屋がある家だ、と思う。
コップを二つ持ってきたメイに、全部描いたの、とたずねる。思い出したように部屋の絵を見、そうよ、とメイは笑った。
「絵を描いてる間は考えなくて済むから」
床に座ったメイのこぶしに力が入ったのがわかった。カミヤも床に座ると、トランプでもやる、とメイはカミヤを見る。
「……トランプ?」
「トランプ、二人だと少ないけど」
男の子もやるでしょ、と不思議そうに問いかける。トランプって何だ、と思いながら、あんまやらないな、と絵を眺めるふりをする。
「あ、こないだ描いたのあれ」
メイが机の方を指差した。立ち上がって壁に立てかけてある紙を見る。カミヤが見た時よりも全体に青紫がかっていて、それは紛れもなく夜だった。ぼうっと絵を眺めていると、カミヤと住んでる大人って、お父さんやお母さんじゃないの、と訊ねた。
「……うーんと……」
床に足を投げ出しているメイを振り返る。なんと言えば通じるのか分からなかった。
「男なんだけどお父さんじゃなくて、たぶん十くらい年上」
「お兄ちゃんってこと?」
「うーん、いい人だよ」
日が翳った。窓から外を見ると夕暮れで、カミヤは何となく居心地が悪くなる。そろそろ帰らなきゃ、と言いメイを見ると、またね、とメイは小さく手を振った。
外に出て玄関を閉めた時、カミヤは安堵していた。