こんな所に人が生きてそして死んだ話
目を開けると真っ暗だった。カミヤは上半身を起こし、ぼんやりする頭で室内を窺う。ケンゴの気配のしない夜に、これは現実なのだ、と落胆して布団を被る。
あのあと、テラから逃げるようにして家に帰った。リュウも女も追いかけてはこなかった。しばらくして店に行き、仕事をしてまた家に帰った。路地は普段の通りに薄暗く、夜になると少し明るくなった。リュウが言ったことはでたらめだと思ったが、それならケンゴは一体どこに行ったのか、なぜ帰ってこないのか、カミヤにはまるで分からなかった。
リュウは警察官なんかではなく、ケンゴはリュウから逃げているのだと思ったこともある。けれどカミヤに何も言わずにケンゴが帰らなくなったことをどう理解すればいいのか、それならばリュウは何者なのか、いくら考えても答えは出なかった。
布団から顔を出して目を開ける。暗闇に目が慣れ、ちゃぶ台や流しのコップが浮き上がって見えた。ケンゴが本を入れている棚の上に、いつか買ってもらったガラスの置物があった。カミヤは深く息を吐いて再び布団を被る。こんなに夜が長いと感じたことはなかった。
カミヤは再びテラに向かった。ケンゴについて知っている人がいるとしたらテラの女だと思った。重たい扉を開けると、女は奥の椅子に座った状態で机に伏していた。
「あの」
「……はい」
女は顔を上げた。ひどく声が嗄れていた。寝ていただけか、とカミヤは胸を撫で下ろす。
「ああ……昨日の」
大儀そうに身を起こし、女は椅子に座り直す。静かに息を吐き、事情があるようですね、と続けた。
「……警察官の人は、ここで何をしてたんですか」
女の座っている方に向かいながらカミヤはたずねる。カミヤの目をじっと見て、ここは迷い子が道を捜す場所ですから、とささやいた。それ以上何も言う気のない様子にカミヤは黙り込む。
「急にいなくなって、どこに行ったかおれも知らなくて、あの警察官の人も知らない人で、あの……」
言いながら、どんどん心細くなっていくのがわかった。目に涙が浮かび、小さくしゃくり上げる。女は何も言わずにカミヤを見ていた。安らかでないですね、と目を伏せて呟いた。
「……子供は、確かに昔はもっといたんですけど、でもケンゴが、そんなことするはずないです」
女はしばらく黙っていた。やがてぽつりと、私も子供を亡くしていてね、と呟く。カミヤは目を上げて女を見た。その話をした時、彼は泣いてくれましたよ、と続けた。
「……私も、何か誤解があるのではないか、と思います」
向こう側の空から夕暮れが迫るのを見る。テラの女の話を聞いて少し安心したが、ケンゴが帰らないことに変わりはなかった。ケンゴがいないとわざわざ家に帰る理由がないのだな、とぼんやり思う。少し離れた位置ではメイが座って絵を描いていた。夕方に来ることはなかったので、珍しいな、と呟くと、少しだけ、と平坦に聞こえる声で言った。
「絵……描いてどうすんの」
メイはカミヤの方を見た。そうね、としばらく考え込む。
「カミヤにあげるわ」
小さく笑った。大きく伸びをし、あー、ご飯作りたくない、と絞り出す。
「……私も仕事したい、大人になって、どこかに行きたい」
後ろに手を突いて空を眺める。家族がいるならいいじゃないか、と思ってしまった自分が嫌だと思った。
「出られない気がする、家から」
カミヤは黙っていた。メイは違う世界の人間で、まるで違う悩みを抱えている。西日が落ち、辺りは少しずつ暗くなり始めていた。
「……大通りまで送る」
「ええ、ありがと」
取りに来てね、絵、とメイは続けた。あ、私がここに来ようかしら。
「……どっちでもいい」
「そう、じゃあそのうちに」
メイはさして気にする風もなく階段を下りる。明かりの灯り始めた店並みをすこし眺め、大通りの方に歩き始めた。
「お前の親父は元気か」
カミヤは目を逸らした。夜遅くを回っていて、店に残っているのは店長とカミヤだけだった。
「……具合が悪いんです」
へぇ、と店長は呟いた。テーブルを拭こうと厨房から出ると、ここんとこ良く働いてるもんでな、と続ける。
「まぁ、お前は元々良く働いてたがな」
カミヤは俯いた。ケンゴが帰らなくなってから、カミヤは店にいる時間が長くなった。食事を作るのが面倒になり、買って済ませることも多くなった。テーブルを拭き終えて厨房を振り返ると、飯食ってけ、と店長が冷蔵庫を開けるのが見えた。
店を出ると夜もすっかり更けていた。払います、と言ったが、親父の面倒見てんだろと店長は笑った。二週間前から帰っていないことが喉まで出かかったが、カミヤはぎりぎりの所で押しとどめる。家の方に向かおうと静かな路地を歩き始めると、ぽつり、と頬に水滴が当たった。走るのも雨宿りをするのも億劫な気がして立ち止まる。本降りになった雨に打たれながら、何もかもどうでもいい、と思った。